私がこのテーマで

文字を綴ることは
前から思っていたことでした。
しかし、
どう表現したものか
曖昧だったのです。
すると
白龍が今朝現れて言いました。
「時、来たれり。
今、まさに表さん。」
私の中に
怖れがあるのが
自分でも分かりました。
それでも、
白龍は
「怖れは幻なり。」
とぐいぐい背中を押します。
これは、
あくまでも
私の体験から生まれた
想いです。

私が
教師を辞めて
ヒーラーになるかどうか
迷っていたとき
北九州で
越智啓子ドクターの
講演会がありました。
私は、知らなかったのですが
講演会では
過去生療法のデモンストレーションとして
1人だけが壇上に上がれるのでした。
私は
当時
迷いの中にいたので
デモンストレーションに
すぐ
手を挙げました。
2018年3月31日の話です。
越智啓子ドクターは
私の悩みは何か、と
お尋ねになりました。
私は
自分が特別支援学校の教師だが
幼子三人抱えながらも
ヒーラーになりたいと思っている。
でも
ヒーラーになるにも
経済的な不安が頭をかすめて
行動に移せません、と。
すると
ドクターは
あなたはご主人様はいないの?
と尋ねました。
私は
夫はいますが
整体師として
経済的には
安定していません。
私が
大黒柱なのです。
と答えました。
ドクターは
私の過去生の1つが
障がいのある子どもを持つ母親
だと言いました。
その障がい児が
今の夫だと言うのです。
初めは何のことやら
分かりませんでした。
それでも
涙が止めどなく溢れてきます。
だから
私は
いつも夫に対して
どこか頼りなさを
感じていたんだ...。
だから、
夫は
いつも私の傍にいたいって
言っていたんだ...。
でも
私は
何故か
夫が傍にいると
胸が締め付けられる
苦しさと悲しさを
感じていたんだ...。
今まで
夫に対して
感じていた感情の背景が
過去生にあることに
妙に納得してしまいました。
ドクターは
さらに
続けます。
教師を辞めても
大丈夫よ。
あなたの傍には
いつも
障がい児がいるからね。
私が特別支援学校の教師をしていたとき
校外学習の引率をしていました。
買い物学習や
地域の公園に行ったりしていましたが、
擦れ違う人から
「先生達も大変たい。
あぎゃん子達ば連れて。
でも、親は
もっと大変かろな。
可哀想かな。
あん子達は。」
当時の私は
何故か分からないけど
この言葉と目線に
強い怒りを
感じていました。
可哀想って言われる
筋合いはない!!!
そう言葉にするあなたの行為が
何より障がい児を
傷つける行為なんだ!!!
おそらく
私の過去生で
障がい児の母親をしていたときの
感情が刺激されたからなのでしょう。
その時の
悲しみや苦しみや罪悪感が
あまりにも強いため
自分自身で
過去生の記憶を
ブロックしているようです。
未だに
私が障がい児の母親だった
記憶は見えてきません。
私は
障がい児に対して
可哀想と思わないのです。
もちろん
障がいによる
不自由さはありますが、
担任をしていて
腹の立つこともあったし、
駄目なことは
真正面から
駄目だと伝えてきました。
教師として
障がい児の保護者と
話をしていても
小学校の保護者に対して
話をしていた時と
比較しても
心情として
そこまで
違いはありませんでした。
ただ
障がい児を持つお母さんは
子どもから
選ばれた人達だな、と
感じていました。
精神的な強さ
障がい児を受け容れる
懐の大きさ、
底深い愛情...。
確かに
育てていくのは
大変です。
教師なら
9時~15時までの
付き合いですが
親は
ずっと我が子と
向き合うのです。
今は
レスパイトサービスも
充実し
保護者が
気持ちのゆとりを持てる
環境にはなってきましたが...。
私は
障がい児を持つお母さんを
尊敬しています。
そして、
そんなお母さん達の
心に寄り添う
ヒーラーで
ありたいと
思うのです。
教師の頃には
一線を画されたとしても、
その立場を離れた今なら
きっと
ありのままの気持ちを
表現されると
思います。
今まで
頑張ってきた
お母さん...。
私は
あなたの傍で
あなたの気持ちに寄り添い
あなたの笑顔が
生まれることを
信じるのです...。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル氣功師MOE