私が散歩をしていたら

「私を撮って」

と声をかけられました。

見るとそこには

なずながありました。



ナズナを見ると

佐世保で出逢った

偉大な師を

思い出します。

障がい児教育の先駆者

近藤原理先生...。

なずな園の創設者です。

彼のお父様は

近藤益雄先生であり、

障がい児教育の父と

言われています。



長崎の小学校の

校長でありながら

その立場を退き

自ら

特殊学級

(現:特別支援学級)

の担任となりました。

一方で

自宅を開放し、

知的障がいのある

子ども達と共に

生活を通して

教育の実戦をされた方です。

のぎく園の創設者です。

長崎の原爆投下により

我が子を亡くした悲しみから

平和と障がい児教育の実戦を

田舎町でされていました。




その息子さんである

近藤原理先生も

また

障がい児教育の

パイオニアでした。

当時

私は佐世保に住んでいましたが

アメリカ軍基地が

すぐ傍にありました。

自宅から

図書館の近道には

ニミッツパークを通り抜けるのが

1番早いのですが

アメリカ同時多発テロ以降

ニミッツパークを通るには

バッグチェックが

入りました...。

ここは日本なのに

日本じゃ無い...。


近藤原理先生は

原爆投下で

お兄様を亡くされており

平和への想いも人一倍強くお持ちでした。

私は

佐世保に住み始めて

感じた違和感を

近藤原理先生に

手紙で送りました。

また、

障がい児教育に対する想いも

併せて綴りました。

返信用封筒を添えて...。

しかし

返事は返ってきませんでした。

手紙について忘れた頃、

近藤原理先生の講座があり

受講しました。

その際

手紙について話になったのです。

近藤原理先生は

こう言われました。

「内容が余りにも深くて

 簡単に返せる文章が

 書けなかったんだよ。

 確かに佐世保には

 空襲で大きな被害を受け、

 沢山の人が亡くなった。

 長崎市には原爆投下された。

 誰よりも平和を思いながら

 米軍が駐留する矛盾は

 僕も感じている。

 でも、

 僕は

 今、

 自分にできることを

 ただ、

 やっているだけなんだ。

 怒りからは

 平和は生まれないんだよ。」

近藤原理先生は

私の中にある

怒りに気付いていらっしゃったのです。


父は自衛官。

アメリカ同時多発テロの時には

夜中に

臨時招集の電話がありました。

テレビの中の世界が

一気に現実味を帯びた出来事でした。

平和と戦争...。




近藤原理先生も

教師をしながら

なずな園を

運営されていました。

自宅で知的障がい児と共に

生活実践教育されていたのです。

それも

私が佐世保に行った頃には

なずな園を閉じていらっしゃいました。

なずなを見るたびに

思い出すのです。

なずなのように

人の目に触れることは無くとも

健気に生きる

この子達が

光となるように...



確か

このように記憶しています。

なずなを見るたびに

自分ができる

平和と教育への関わりについて

考えながら

今日も散歩をしていました。



あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨


熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル氣功師MOE