この言葉を

最初に目にしたのは

次男坊の育休中なので

7年前になります。

まだ

今ほど

毒親について

言葉の認識は

なかったかもしれません。

当時

我が家は

マイホームを建てていた最中で

アパートの家賃と

マイホームのローンの

二重払いを避けるため

実家で

お世話になっていました。

その期間は

7ヶ月間に

及びました。



夫は

当時

整骨院で技術を磨いていました。


実の親子とは言え

私は

結婚した身。

我が家には

我が家の

やり方が

普通に存在していました。

ところが

何かにつけて

母は口を出してくるのです。

無理難題もありました。

乳児だった次男坊が

夜泣きをしていたら

「うるさくて眠れないから

 静かにしろ」

夫に対しては

食事の際に

「クチャクチャと音を立てるな」

洗濯物を干すときには

「ここから先のスペースには、

 干すな!」

挙げたら

キリがないくらい

事細かにありました。

意見を言おうものなら

「早く出て行きなさいよ。

 ここは私とお父さんの家なんだから」

の言葉...。



幼少期の母からの言葉も

思い出され

私からしたら

毒親のように感じてました。

本を持っていたため

私は

本にラインを引き

母に読むように言いました。

「これは、

 そのままあなたの姿です」

私は

そう言いました。

母は

「それなら、出て行けばいいじゃない」


出て行けない状況の私に

追い打ちをかけるように

言ってきました。

とにかく

私の人生の中で

母との関係性が

最も悪かった時期でした。



しかし

我が身を振り返ってみると

実は

私自身も

毒親でした。

しかも

毒親であることにさえ

気付いていませんでした。

自分の枠に

子どもをはめようとし、

枠にはまらなかったら

大声を出したり

叱ったり

時には

手が出ていたこともありました。

特に

長男は

第一子だったため

私の感情のままに

振り回してしまいました。

私の

毒親ぶりは

私の母親を超えていたと思います。

なぜなら

私が

教師を辞めて

ヒーラーに転身してからの

約半年間...

自殺未遂まで犯してしまった

母の傍にいたことは

3人の子どもの成長に

どれだけ

影響を

与えてしまったのでしょうか...。



だからこそ

私は

今、ここにある

我が子との

時間も

大切にしたいのです。

それは

懺悔ではありません。

そんな過去を

共に過ごしたからこそ

今の時間を

より尊いものとして

一緒に過ごすことが

できるのだ、と

私は

考えています。

もしも

そんな過去がなければ

子ども達との

時間を

当たり前

だと捉えていたかもしれません。

毒親を毒親で終わらせることなく

その体験を

今と未来に

どう生かしていけるのかは

自分次第だと

私は

体験から学ばせて貰いました。



 あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨



熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル氣功師MOE