教師をしていた頃

休日のみではありましたが

瞑想をしていました。

瞑想を続けていると

時として

呼吸を忘れ

全てと一体化した

感覚になっていきます。

そこには

時間もありません。

永遠の中に

心穏やかに漂う感じです。



私は

ヒーラーになってからは

毎日のように

瞑想をやっていました。

ところが...

心から湧き出るのは

不安、焦り、恐怖などの

ネガティブな感情。

さらに

雑念だらけで

到底

瞑想と言われるものでは

ありませんでした。

そうなると

さらに

焦りは募ります。

なんで

私には

できないのだろう...。

前は

できていたのに...。



でも

あるときに

瞑想の仕方が

あぐら座位をする

やり方だけではないことを

知りました。

いわゆる

ヴィパッサナー瞑想

と言われる瞑想の方法です。

ウィキペディアでは

このように

解説してありました。


一般に仏教においては、

集中力を育てるサマタ瞑想

samathabhāvanā)と、

物事をあるがままに観察する

ヴィパッサナー瞑想

vipassanā-bhāvanā)とが双修され、

この点は南伝仏教でも

北伝仏教でも変わらない。


伝統的に上座部仏教においては、

サマタ瞑想を先に修行して、

それからヴィパッサナー瞑想へと

進むという階梯がとられてきた。

ヴィパッサナー瞑想を行なうためには

少なくとも第一禅定(最高で第四禅定)に

入っている必要があるとされ、

そのためにはサマタ瞑想を

行なわねばならないのである。

これに対し、

最初からヴィパッサナー瞑想のみを

中心に修行するという道も、

少数派ながら古くから存在した。

これは、ヴィパッサナー瞑想を

行うことによって、

自然に第一禅定が

もたらされるという事実に基づいている。

またより重要な問題点として、

サマタ瞑想にあまり重点を置きすぎると、

それによってもたらされる

三昧の快楽に耽ってしまいがちであり、

なかなか悟りが開けないという点も

指摘される。

ブッダの悟りあくまでも

ヴィパッサナー瞑想によって

開かれたとする観点による。




分かりにくいです...。

ようするに

散歩しながら

五感を使い

今、ここを

感じること...。

風のそよぐ感じ(触覚)、

水のせせらぎの音(聴覚)、

空に浮かぶ雲(視覚)、

花の匂い(嗅覚)、

散歩の途中で

野イチゴを食べたとするなら(味覚)

今、ここに

集中すると

雑念から

離れます。

それこそが

今を生きる

ということ...。

私は

勘違いをしていました。

神秘的な体感をすることが

瞑想の目的だと思っていたのです。



今では

目を開けながら

ご神木と一体化したしていたり

温泉に行ったときには

通路と一体化したりしていました。

温泉に浸かりながら

ぼ~っとしていたら

自分の体が

エネルギー体として

揺らぎはじめました。

目の前の通路は

鉱物でできているのですが、

同じように

エネルギー体として

揺らぎはじめたとき

私達は

一体化していました。

一体化しようと思って

一体化したわけでは

ありません。

気付くと

一体化していたのです。




我があると

それが

ブロックになります。

無になったとき

自分の想像を

遙かに超える出来事が

起こったのです。




あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨



熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル氣功師MOE