私が初めて

うつ病を

間近にしたのは

23才で

臨時採用教員として

働いていた

養護学校でした。

40代の男性体育教師が

うつ病で休職したのです。

私は、

まだ若く

教師の仕事が

楽しかったので

何故うつ病になるのか

全く分かりませんでした。

また

うつ病は

精神的に弱い人が

なるものだと

思ってもいました。





25才で

神奈川県の

教員採用試験に合格。

26才から

小田原市内の

小学校に

初任者として配属されました。

ところが

慣れない土地での

独り暮らし。

さらに

毎日夜遅くまで

小学校に残り

授業準備や

諸々の書類作成

保護者への対応

初任者研修...

終わり無い膨大な仕事量に

私から

どんどん笑顔が無くなっていきました。

さらに

追い打ちをかけた

出来事がありました。

初任者研修として

教頭から

講話をして戴いた時のこと...。

「先生は、教育で

 何を1番大事にしたいのか?」

と尋ねられました。

臨時採用教員として

養護学校で働き、

生徒の死を間近に見た私は

命を1番大事にしたいです


と速答しました。

それに対して

教頭は

命はあって当たり前のものなんだ。

 他に大事にしたいものはないのか?

この教頭が

どんな意味で

そう言ったのかは

分かりません。

しかし

私は、

その言葉に

頭が白くなり

教師としての

自分を

全て否定されたように感じました。



翌年

佐世保で

小6の女子児童が

同じクラスの女子児童を

刺して死亡させたと

全国のニュースとなりました。

それ以降

命の授業が

全国で

声高に言われ

授業でも

行われるようになりました。

やはり

命は

最も大事なものだったのです。


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さて、

私は、

教頭の言葉をきっかけに

完全に力が抜けてしまいました。

ゴールデンウィークには

寝たきりになってました。

ムシの勘だったのでしょう。

当時

佐世保で暮らしていた母が

小田原にやってきました。

母は驚き

心療内科に

私を連れて行きました。

完全な思考停止

食欲減退

身体は動きません。

心療内科医の

診断は

うつ病。



うつ病って

こんな感じなんだ...

まるで他人事のように

聞いていました。

はじめのうちは

服薬しながら

小学校に行っていました。

他の教師からは

「無理しないでいいんだからね」

「頑張らなくていいよ」

等の優しい声かけや

自宅に

近所で評判のパンを

持ってきて下さったり、

自分の家に

私を招待して下さる

教師もいました。

しかし...程なくして

私は、

九州に帰り

入院生活に入りました。

そこの病院は

個室の部屋で

比較的自由に

過ごせることを

ウリにしていました。

レクリエーションも

参加可能な方はやっていました。

カウンセリング

心理テスト

診察に

投薬...。

私は、

入院生活中に

自分が

うつ病になった

背景を探っていきました。

同期の他の教師は

苦しむことなく

初任者研修を

どんどん進めていき

経験値を上げていく

一方で

私は、うつ病で入院。

未来は

真っ暗でした。

自分が小学校3年くらいのときから

なりたかった教師という仕事。

やっと本採用になったのに...。

涙が溢れて止まりません。

なぜ

私だけが

こんなにも

不器用なんだと

両親の

育て方に

全ての

原因があると

思っていました。

だから

お見舞いに来た両親に

「あんたたちの

 育て方が

 悪かったから

 私が

 苦しむ羽目に

 なったんだよ!!!!
 
 あんたたちのせいだ!!!」

と病室で大声で叫び泣きました。

父も母も

「ごめんね、ごめんね...」

と言葉を繰り返していました。

反抗期も無かった娘が

まさか

うつ病になるなんて

想像もしていなかったでしょう。

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