今日

熊本空港から

離陸する瞬間

雲の切れ目から

光が差し込みました。



闇を切り裂き


光輝かん

そう聞こえました。

そして

涙がこぼれました。

思い出したのは

父の顔でした...。



私の父は

私の進学や就職に関して

一切

口を出しませんでした。

私は、

福祉を学ぶべく

鹿児島経済大学

(現在の鹿児島国際大学)

社会福祉学科に在籍し

福祉と共に

教員免許を

取得しました。

教師になってからも

父は

私の思う道を

支えてくれました。



父は

教師になりたかったそうです。

しかしながら

祖父から

経済的なことを理由に

高校卒業後

就職するよう

言われたそうです。

幼い頃

父から

父自身が

教師になりたかった

という話を

聞いたことはありません。

私が

教師に採用されたとき

父がどれだけ嬉しかったかは

後から母に聞きました。

教員採用試験に

合格者の番号が

掲示板に張り出されるのですが、

父は、

車で30分も時間をかけて

わざわざ

その目で確認しに行ったそうです。

そして

泣いたということを

母から聞きました。

私は、

教員採用試験を

6回受けて

ようやく

合格しました。

だからこそ

余計に

父にとって

嬉しかったのかもしれません。



しかし

私は、

2018年5月から

教師を辞めて

ヒーラーとなりました。

私は、

辞めたことを父に

なかなか言えませんでした。

ヒーラーとして

成功してから

報告したかったのです。

見栄かもしれません。

でも

父に

心配かけたくなかった...。

私が

父に教師を辞めたと言えたのは...

6月半ば...

辞めてから

一月半経っていました。

父は、

黙って聞いていましたが、

「自分の人生だから

 自分の思うように

 生きたらいい」

と言ってくれたのです。

私は、

泣きました。

父を安心させるためにも

ヒーラーとして

必ず成功したい

そう思いました。

しかし...

その3週間後には

自殺未遂をしてしまいました。

私を1人で支えきれなくなった夫は

私の実家に

連絡を入れました。

「もえが死にそうなんです。

 助けて下さい。」


両親に

連絡だけは

してほしくなかった...。

でも

私は、

もう

まともに考えることが

できなくなっていました。

程なくして

私は、

幼子3人を自宅に残し

実家に療養に行きました。

真夏の田舎は

緑の力強さと

鳥の鳴き声

川のせせらぎ...。

それだけで

気持ちが落ち着いていきました。

しかし

未来が明るいわけではありません。

私は、

家事の一切を

母に頼り

何とか食べ物を口にし

横になる日々を過ごしていました。

そんな私を

父は、

黙って受け容れてくれました。

本当は

言葉にしたかったはずです。

でも

言葉にしないのは

父の優しさでした。



今日

自宅から

熊本空港まで

運転して送ってくれたのは

父です。

父は

娘が

人のお役に立つために

県外に出向く...。

熊本空港まで

送れたことを

喜んでくれました。

別れ際

「気をつけて行ってこい」

と手を振ってくれました。


人を幸せにする

本気の想いには

自然と

協力者が現れることを

感じています。

私は、

父に

熊本空港までの

送迎を

お願いしては

いなかったのです。

私は、

教師を辞めたからこそ

出逢えた人達の御縁に

感謝し、

自分にも

両親にも

夫にも

我が子にも

胸を張っていける

生き方を

これからも

歩んでいきたいと

思っています。




あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨


熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル氣功師MOE