Pは

私の高校時代からの
親友でした。
私は、
父が自衛官だったため、
転校が多く
各地で友達ができたものの
その関係が長く続く人は
少なかったし
自分から縁を切ることもありました。。
Pとは
山口県の高校時代を共にし、
その後
Pは広島の看護学校へ
私は鹿児島の大学へと
それぞれの道を
歩んでいきました。
Pのご両親も
私を娘のように
対応して下さり
よく泊まりに行っていました。
それは、
社会人になってからも
そうでした。
子どもが生まれてからも
年に一回だけは
2人で泊まりにも行っていました。
あることが起こるまでは...。
私が
氣功が使えるようになり、
光を感じるようになり、
様々な
神秘的な体験をするようになると
その世界に
魅了されました。
私は、
興奮し
周りの人たちにも
話をしまくりました。
また
実際に体感してほしいとも
思っていました。
Pにも
再三
ラインでメッセージを送っていました。
ところが...
私からのメッセージは
Pにとっては
「あなたは、幸せじゃない」
「もえちゃんは、
ありのままの私でいいよって
言いながらも
私のことを否定している。」
「私は、今のままでも充分幸せなのに」
だったのです。
そして
Pは
私に
「もうラインしないで下さい」
とメッセージし、
それから
連絡することも無くなっていきました。
ショックでした。
20年以上付き合ってきた
唯一の親友でした。
その一連の話を
経験を積んだ女性に話をすると
「生きる世界が違うのよ。
彼女は、彼女の道を行くの。
波動が違えば
どれだけ長い時間親友だったとしても
自然と離れて行くものよ。
私も同じようなことがあったから。」
この言葉で
私は救われたかったのかもしれません。
でも
Pのことは
しばらく心の重石として残りました。
確かに
光の世界の様々な体験は
今までの人生で経験してきた
概念を超えて
私の知らなかったことを
たくさん教えてくれました。
ただ、
当時の私は
その力をうまくコントロールできず、
地に足付かない状態だったと
今なら分かります。
そして、
Pに対する行為も
今思うと
彼女の気持ちに
寄り添えていなかったことが
分かるのです。
それは...
2018年夏
私が自殺未遂まで追い込まれた
心理状況の中
属していた
グループラインの話です。
ポジティブのみだけしか
内容を発することが
許されず、
私のありのままを
グループラインに
発してはならない
雰囲気がありました。
私は
グループラインから
送られてくるメッセージに
耐えきれなくなり
退会しました。
この時の心理状況は
Pが
私とのラインのやりとりを
止めた時のPの気持ちなんじゃ無いかと
夫から言われたのです。
人には
必ず
陰陽があります。
それが
自然の姿です。
光があれば
陰がある。
太陽があれば
月がある。
悲しみがあれば
喜びがある。
にもかかわらず、
ポジティブだけを
Pに求めようと
していたのかも
しれません。
いいえ
私自身が
ポジティブだけで
生きていきたかったから
Pに
自分の姿を
投影していたのでしょう。
もちろん
この世界は
愛が根源です。
愛が根源ながら
様々な事が起こるのは、
その体験から学び
愛の本質を体感するためです。
だから
どんなことがあっても
実は
幸せなんですね。
昨日
たまたま
七夕神社に行きました。
何だか
強いエネルギーを感じたのです。
理由は分かりませんでした。
ところが...
昨夜
このPから
メールがはいっていたのです。
いつ以来の連絡でしょう。
驚きました。
そのメールには
こうありました。
もえちゃんのブログ、
12月ごろから、ちょくちょく見てるんだよ。
もえちゃんのことが気になってたら、
辿り着きました。

凄い時代になりました。
有難い時代でもあります。
今だから
Pに伝えたい...。
P
ありのままのPが
私は大好きだよ。
私の中で
Pは
高校時代と変わらない
優しさと輝きがあるんだよ。
Pとの出来事は
きっと
私達の関係を
さらに深めるために
神様が贈り物として
与えて下さったんだね。
年賀状に
「会いたいな」
とあった文字に
最初に気付いたのは
夫でした。
会いたいって
思ってくれたことが
本当に嬉しかったです。
Pは、高校時代に言っていたよね。
もえちゃんとは
結婚しても
子どもが生まれても
縁側でお茶をすする
お婆ちゃんになっても
ずっ~と付き合っていたいな...
この言葉
今でも覚えているよ。
これからは、
新しい関係で
またPと
付き合っていけそうだね。
ありがとうP。
大事な人には
意地を張らずに
伝えたい...。
意地を張らずに
感情を表現したい...。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル氣功師MOE