お正月早々

皆様

いかがお過ごしですか❔

心穏やかに

時に身を流していたら

K君が出てきました。



K君は

私が大学卒業して

最初に授業を担当した

当時高校17才の男の子でした。

養護学校だったので

担当した授業は

「養護・訓練」という

内容でした。

養護・訓練では

障害による

種々の困難を

改善・克服するために

養護学校や聾学校、盲学校に

特設された授業でした。

現在は、

自立活動という

名称に変更されています。




Kくんは

筋ジストロフィーと

知的障がいを

併せ持っていました。

小学部入学当時は

走ったりもできていたそうです。

それが

走れなくなり

歩けなくなり

座位がとれなくなり...

私と会った頃は

指先を動かすことと

顔を縦横に振ること

「はい。いや。先生」

と言葉を発する事ができました。



まだ

教師として新米だった私は

K君の授業だけでなく

時に

トイレ支援にあたることに

とても緊張しました。

私の授業では、

Kくんは私に対して

「いや。いや。」

を連呼するものの

ベテランの先生が来ると

「はい。」

と素直に返事をしていました。

Kくんのそんな姿に

私は自分の未熟さを感じました。

Kくんを前に

泣きそうになったこともありました。




1年が過ぎて

Kくんは18才、高校3年生となりました。

その頃のKくんは

もう学校に来ることが

できなくなっていました。

自力での呼吸ができず、

病院で人工呼吸器により

かろうじて命をつないでいました。

まばたきをすることも

できなかったため

眼球が乾燥しないように

濡らした脱脂綿を

瞼に乗せてありました。

私は、泣きそうになりました。

しかし、

私と一緒に見舞いに行っていた

Kくんの担任から

私は釘を刺されていました。

「1番苦しいのは

 ご両親だから、

 病院では絶対に

 泣くなよ。」



お見舞いから

数日して

私が

自宅で寝ようとしていたとき

Kくんの声が聞こえました。

「先生、ありがとう」


ありがとうなんて

言葉を

彼から

初めて聞きました。

肉体を離れたら

制限されることはないからです。

私は

声を上げて泣きました。


教師としての技量は

確かに未熟な私でした。

でも

瞬間瞬間を

真剣にKくんと向き合ってきました。

Kくんこそ

私の教師としての

心の在り方を教えてくれた

偉大な師でした。


Kくんは

それから

しばらくして

亡くなりました。


彼の葬儀の時

私は

Kくんに誓ったのです。

Kくんに

再び会ったときに

恥ずかしくない

教師となることを。

だから、

うつ病になっても

原因不明のめまいに倒れても

教師を辞めることが

できませんでした。



今なら

私は

Kくんに

胸を張って

会えそうな気がします。

学校を離れても

教育って

できるんだよ。

教育ってね

子ども達だけでなく

大人にも

必要なんだよ。

しかも、

今では

ブログという

凄いツールができたんだよ。


Kくんとの出来事は

肉体だけが

(目に見えるもの)

全てではないことを

教えてくれました。

魂は

再び光と一体化するのです。

魂は

真実を知っています。

嘘、偽りを見抜きます。

だとするなら

私たちは

目の前の相手に

どんな心を持って

接していきますか❔



元日の今日

今日の気持ちのまま

一日一日を過ごしたら、

世界は

確実に変わっていきます。

日常生活こそ

大事にしたいです。



あなたが

今年も

最高の

笑顔で

ありますように✨✨✨




熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル氣功師MOE