私の母は、

22才で結婚し

23才で私を産みました。

独身の頃、

スチュワーデス(今のCA)

になりたかったそうですが

祖母から

「お前になれるわけがない」

と言われたことで諦めたそうです。

自衛官だった父を支えるため

専業主婦をしていました。

母は、

自分では「不器用」と言いますが、

料理が美味しくて

外食に行っても

母の味に勝るモノは

あまりなくて

今、私の子ども達も

「ばあちゃんのご飯が

1番美味しい」

と言います。







素直な人だったので

頭で思ったことを

すぐに口にする人でした。

また、

自分の中に

「〇〇しなければならない」

「〇〇してはならない」

の枠がしっかりあったので、

私が

母の意図に添わない行動をすると

ほぼ反対されていました。


3歳下の弟が産まれると

母の愛情が

一気に弟にいきました。

今でもよく憶えています。

私は、

産まれたばかりの

弟の鼻を洗濯ばさみで

挟みました。

小さな動く生き物が

不思議だったのと


この生き物が

母の愛情を全部持っていった

というヤキモチからだったのでしょう。

母は、  

火の付いたように怒り

私を叩きました。

里帰りをした母に

祖母は

「そんなに叩いていたら

おかしな大人になってしまう」

と母にはよく言っていたそうです。

ということは...

それくらいに

私は

母の感情に触れて

叩かれていたということです。

弟は

両親にとって

待望の男の子だったので

名付けにも

相当な思い入れがあったようです。

一方の私は...

第1子でしたが

男の子を熱望した両親は

男の子の名前しか用意しておらず

祖母から

「2人の(父と母の)

名前から漢字を取って

適当に急いで決めた」

と聞きました。




適当に急いで決めた...



これを聞いたときは

ショックでした。

小学生のときに

聞いた話でした。

弟が生まれたときから

私は、

「どうせ私なんて...」

という

強い自己否定の中で生きていました。


そんな母だったので

私は高校時代に

母に対して

こう言い放ちました。

「私は、

お母さんみたいな

専業主婦には

なりたくない!!」


父の暴力に我慢し、

子ども達がいるから

離婚をしたら

経済的な面で

子どもを育てていけない

と母から聞いたときに


私は

経済的な自立をする女になる!!!

と心に決めました。



私は、

大学を卒業し

すぐに

養護学校の教員になりました。

結婚を機に

夫の住む与論島に

移り住みましたが

その時に

母は、こう言ったのです。

「専業主婦には

ならないって言ったのに

あんたも専業主婦になるんだね...」



その時に思ったのです。

私は、

母から一方的に

(素直な)言葉で

傷を受けたように理解していましたが

私も

言葉で母を傷付けていたということを 。

私が高校時代に言った言葉を

10年経っても

母は、憶えていたのです。




与論島に住んだのも

わずか3年で

私は、

熊本県の教員採用試験に合格し、

家族揃って

与論島から熊本県へ

移動しました。



猪突猛進な私は、

子育てと家事を

夫に任せ

教師の仕事に

専念しました。

夫は、

全てを引き受け

同時に

整体をする感じで

我が家は成り立っていたのです。

その時に

改めて感じました。


家で支えてくれる人がいるから

安心して働けるんだ...。


母は、

自分の人生をかけて

家族を守り通したんだ...。



私が

教師になってからは

夫婦共に仕事で都合がつかないときには

母が

子どもの病気の世話をしてくれたり

料理を創ってくれたりしました。

今でも

母は、

家族を守るために

毎日を真剣に生きています。





自分が生きるのに

苦しかったから

その原因を

両親のせいにして

生きていた私でした。

でも

与えられた沢山のモノに

私は

ようやく気づきました。

*食事を作ってくれたこと。

高校時代の毎日の弁当は

一日も欠かさず

手作りでした。



*学校行事には必ず来てくれたこと。



*必要なものは買い与えてくれたこと。



*習いたいと言ったことは

 全て学ばせてくれたこと。


愛されていた数々の行為を

挙げたら沢山出てきたのです。



専業主婦は

愛が溢れる

素晴らしい

ポジションだということに

ようやく

私は

気付いたのです。



私が教師を辞めて

ヒーラーになったのも

人の笑顔を創造する目的があったからですが、

我が子の成長を

近くで見守りたかったから。

毎日

手作りおやつをし、

「いってらっしゃい」

「おかえりなさい」

を言ってあげたかったから。

母親を

全うしたかったんですね。



今、

母は

私の最高の

理解者です。


過去の全てを受け入れ

あるがままを認めたとき

相手との関係性は

大きく変わりました。

私は

母を

尊敬しています。




あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨



熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル氣功師MOE