私の母は

父と結婚して

私を産みましたが、

自衛官だった父の転勤で

父と共に数年で

全国各地を引っ越ししていました。

幼い頃の私は

専業主婦の母から

育てられるのですが

「お姉ちゃんなんだから

自分でしなさい」


とよく言われていました。



さらに

よく叩かれていたそうです。


祖母が母に

「そんなに叩いていたら

おかしい人間に育つばい」

と母が実家に帰省したときに

言っていたそうです。

母から叩かれた記憶は

私には

かすかにある程度です。




自分が

初めて

うつ病になったとき

親の育て方を呪いました。


心理学を学んでいたときも

学べば学ぶほど

知れば知るほど

親を心で責めていました。



いくら年齢を重ねても

うまく生きられないことを

全て

親が原因だと責めていました。



私は

ただ

愛して欲しかった。

愛されていると

実感したかった。


そうすれば、

こんなにも

苦しまなくても

良かったのに...。

普通の人みたいに

生きて行けたのに。

もっと

器用に

生きて行けたのに。




ところが

自分が親となり

子どもを育てていく中で

気付いたのです。


自衛官の妻として

父を支え

見知らぬ土地で

我が子を育てる

重圧と孤独感を抱えていた母の想いに。






私には

3人の子どもがいます。


私が

教師からヒーラーになったとき


これからは

母神として生きていける

と喜びました。



特に

末娘は

まだ3歳にもなっていませんでした。


初めは

末娘の全てが可愛かったです。

ワガママも失敗も...。




ところが、

私が

自分の不安や怖れや焦りなどに襲われ

マイナススパイラルにはまったとき、

娘への対応が一変しました。






あるとき

娘が

トイレに(便器に)あと30㎝手前で

失便したのです。


私は

かぁっとなり

つい

娘を押し倒してしまいました。

しかも

頭を叩いていたのです。


娘は泣きました。


「トイレは、目の前にあるでしょ❗❗

なんで、トイレでうんこをしないの❗❗」


怒りにまかせて

娘にあたっていました。




当時の夫は

私と娘を2人だけにして

家に置いておくのが

怖かったそうです。






この出来事は

より一層

自己嫌悪を強めました。

私は

私が大嫌いでした。

苦しくて仕方がありません。


胸にナイフが突き刺さったようで

息も出来ない状態で

心から人を愛せるはずがありません。

それが、

例え我が子であっても

抱きしめることさえできませんでした。



私が

自分をあるがまま受け入れるようになり

感謝の氣持ちで毎日を過ごすようになると

やがて

白龍が戻ってきて

光を感じることができました。


自分が娘へしてしまった対応を

カバーするかのように

愛を注ぎ続けました。



そんな時

あることが起こりました。



起床時

寝ぼけた長男が

末娘の脇腹を

踏んだのです。


よほど痛かったのでしょう。

娘は泣きながら起きて

こう言いました。

「ママが、パッチンした

ママが、パッチンした」


娘の記憶には

私に叩かれた恐怖や痛みが

強く残っていたのです。


ショックでした....。




そんなことがあって

私は気付きをもらったのです。


親から愛されなかった訳じゃ無い。

十分に愛されていたんだ。


でも、

人間として親も自分も未熟だったから

愛し方も愛され方も

分からなかったのかも知れない、と。




私は、

今は

後悔も反省もしません。


後悔も反省も

自分を責める行為です。


今、

私がするのは

出来事から

何を学び

自分や人を幸せにするために

次にどう生かすか、

それだけです。



だから、

毎日をワクワクしながら

「今日は、どんな方に出逢えるかな❔」

と愉しんでいます。




それが

結果として

子ども達へ波及し

子ども達が笑顔になりました。




何度でも何度でも言います。

私達は

愛されてきました。

だから、

もう

前を見て

笑って生きていこうよ。

全ては必要だったのです。

私達が

愛に気付くために...。





あなたが

今日も

笑顔でありますように✨✨✨





熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル氣功師MOE