千葉滋賀県人会からの依頼で寄稿した記事を掲載しました。文字数、写真枚数制限があり、あまり詳しく書いていませんので、興味のある方は、QRコードからYouTube動画をご覧ください。全体のストーリーがご理解いただけると思います。

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   ◾️ 牧野博士ゆかりの南天の木の物語 ◾️
       『故郷(伊吹山麓)』と『柴又 帝釈天』を繋ぐ

 私は滋賀県米原市(旧伊吹町春照)出身で、東京在住の的場昭光と申します。
 本日は、2023年4月から9月まで放映されたNHKの朝ドラ『らんまん』の主人公のモデルの牧野富太郎博士ゆかりの『南天の木』について紹介させていただきます。
 これは伊吹山麓の旧家にあった『南天の木』が、縁あって、柴又 帝釈天 題経寺の『床柱』となったとの断片的な情報を元に私自身が調査し、まだ、不明点もありますが、経緯としてまとめたものです。


 牧野博士は、明治、大正、昭和に薬草採集、植物講習会などで、伊吹山に計8回訪れています。明治39年8月に講習会に招かれた時に、私が生まれ育った旧伊吹町春照(当時は春照村)の旧家 的場徹氏邸(同性ですが、親戚ではありません)に宿泊されました。その際に、庭にあった軒先の高さを超える南天の木を見て、『日本一の大南天』と大変驚きましたが、その後、家屋修繕時に倒れて、残念ながら枯木となってしまいました。
 更に、大正6年ごろ、その枯木は売却目的で、東京報知新聞社に持ち込まれました。それを聞いた牧野博士は、その新聞社で枯木となった南天の木と一緒に写真を撮り、『牧野植物学全集 植物分類研究下巻』の口絵として掲載しています。
 しかし、その後、その枯木は行方不明となり、牧野博士は行き先を知らないまま昭和32年に亡くなっています。
 この経緯については、後に、牧野博士の随筆集『植物一日一題』の『日本で最大の南天材』の章に記述されています。
 その後、昭和4年の題経寺の大客殿落成に合わせて『経頂の間』に床柱として鎮座することになりました。更に、昭和37年にはこの南天の床柱をモチーフにした6円切手が発行され、その贈呈式に招待された牧野博士の教え子で、当時、元日本植物学会長で東京大学の小倉名誉教授により、『南天の枯木』と『南天の床柱』が同一であることが確認され、専門誌『植物研究雑誌』にも寄稿されました。
 何故、伊吹山麓にあった南天の木が柴又まで運ばれてきたかは、未だ解明できていませんが、題経寺の住職の奥方は滋賀県のお寺出身であったとの大変貴重な情報をお寄せいただきました。南天の木があった旧家の奥方は教師をされており、彦根あたりの女学校で接点があった可能性もあり、更に調査を進めていますが、その確証は得られていません。
 最後に、この南天の床柱は、大変素晴らしい帝釈堂の壁面彫刻、庭園と併せて現在も観覧(有料)できます。ご興味のある方は、是非とも実際にご覧ください。
 私が作成しました物語の動画のQRコードも掲載しましたので、併せてご覧いただけると有難く存じます。ご一読いただき有難うございました。