前回のブログ(中学時代①)では、先生の話はあまりなかったが、

要は1年生の時の担任の先生は、癖が無くて、普通うにイイ先生だったということである。

次は、中学2年生~3年生の時の担任の先生のはなし。

20代前半の男の先生。私が中学1年生の時に、教師になったばかりで、この時は、別なクラスの担任だった。

我々が中学2年生になり、この先生も同時に2年生をみることになり、私のクラスの担任になったのだ。

教師歴1年、新米先生で元気ハツラツな熱血感と思いきや、この先生は、

明るいながらも冷静で理想論を言わず、現実的な事を諭すタイプの先生だった。

少なくとも、俺が、嫌いな森田健作タイプでは無かったことは間違いない。

そして、この先生は、私の恩師でもあった。。結婚式にも来て頂いた。

恩師と言える理由は、中学2年生の時の私のテストの解答用紙に書いてあった先生の助言である。

先生は、社会科の先生だったのだが、2年生2学期の社会のテストで、私は、いつになくテストが出来なかった。

(といっても、そんなに出来の良い方では無いのだが・・・。まぁ普通よりはできるかな?という部類だ。)

そのテストの解答用紙に先生が採点をして生徒たちに返したときに、私の解答用紙には、次のようなメモが書いてあった。

「どうした?○○○(←私の名前)  お前ならもっとできるだろう??」と。

このメモを見た私は、3学期のテストを頑張り、見事、先生の期待に応えたのだ。

小学時代の先生もそうだが、この先生も私の事を「やればできる子だ」が私への教育だった。

「やればできる」←こんな単純な言葉でも、人間言われればその気になるのである。

私の過去の悪い先生は、総じて、私の事を「内向的で、大人しいので、もう少し積極性を出してほしい」とか言いやがる。

そうに言われて簡単に出来ているなら、とっくに治している。

この先生は、逆だった。

短所は指摘しなかったのだ。

良いところを伸ばそうという教育方針だったのだろう。

「やれば出来る」と言われ奮起して勉強したりもしたが、

学力は、上がったり下がったりで安定しなかった

理由は、成績が上がると手を抜く・・・。。

成績が下がると頑張る・・・。

これの繰り返し。

私の人生もこんな感じかな・・・。

 

・・・この恩師の先生は、5年前に、自分で人生を終わらせてしまった。

年齢も重ね、校長になったらしく、精神的に悩んでいたらしい。

そういえば、卒業して、数回行った同窓会で、先生はよく言っていた。

「自分は、(生徒を教える)現場がイイって」

理想論はいらないけど、この先生がこの世にいないという現実は、ちょっと辛かった」(今でも否定したい事実だ)

・・・でも、俺の恩師に変わりは無い。