→雛の想い(9)

 

後ろ手に襖を閉じると、琉架は室内を見渡した。

整理整頓が行き届いた金子シズの部屋は、故人の

几帳面さをうかがわせる。

ふと目を遣ると、生前に生けられたと思われる

水仙の花が床の間に飾られていた。

放置され枯れ果てたままの姿には、そこはかとない

哀れさが漂っている。

琉架は深呼吸をひとつすると、紙袋から女雛を取り出した。

途端に指先を伝って流れ込んでくる様々な想い

喜び、哀しみ―――――出会いと、別れ。

女雛の内から溢れ出た金子シズの人生絵巻が、琉架の脳裡に

像を結び瞬く間に消えてゆく。

その目まぐるしさに、琉架は眩暈を覚え畳に片膝を付いた。

両の瞳が鮮やかな紫色に染まっていく。

「くっ

唇を噛み締め、なんとか意識を保つ。

額に噴き出た汗が白い頬を伝い落ちていく。

突然、これまで感じた事のないような強い

感情が入り込んできた。

 

『杏奈ちゃん――』

 

琉架の鼓動がドクンと大きく跳ね上がる。

胸が締め付けられる温かな想い。なに‥これ?

幼子の柔らかな肌の感触。

たどたどしい言葉のひとつひとつ。

護りたいという強い気持ち。

 

遠い記憶…忌まわしい力が自分に備わっているなど

思いもしなかった頃―――――

静かに見守る、母の優しい瞳。

頭を撫でてくれる父の大きな手。

疑う事などなかった、無償の愛情。
 

儚くも消え去った優しい思い出を蘇らせた

金子シズの想いが、ゆっくりと琉架の心を包み込んでゆく。

知らず知らずのうちに涙が溢れてきた。

 

『ごめんね…こんな事しかしてあげられなくて…』

不意に掠れた声が聞こえ、息苦しくなる。

それと同時に、一気に全身の体温が奪われていった。

周囲の空気がどんどん希薄になっていく。

こめかみが脈打つように痛み、あまりの苦しさに

口を開け大きく喘いだ。

『さようなら…杏奈ちゃん…』

哀しみを纏った声が響く。何度も何度も繰り返し‥

金子シズが自ら選択した、苦しい死への道。

その最中でも思うのは姪の事ばかり…

次第に手足がしびれ、目の前が暗くなっていく。

朦朧とする頭の中、直接入り込んでくる…

『―――――幸せになりなさい』

金子シズの最期の言葉。

 

琉架は目を閉じると、意識を手放した…