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ミタクエオヤシン

ミタクエ・オヤシンとはネイティブ・アメリカン、ラコタ族の言葉で「私に繋がる全てのもの」という意味です。
だから、みんなつながっていこうね!

日々日常、非日常、音楽、映画、宇宙、スピリチュアル・・・などを綴ります。

 

 

2026年という節目に立ち、ぼくたちは今、「崩壊」と「再生」が同時に進行する不思議な時代を生きている。

 

これまで世界を覆ってきた、目に見えない支配構造や価値観──ここでは象徴的に「DS」と呼ばれてきたもの──は、単なる外部の敵ではなく、人類の集合意識そのものが生み出してきた殻だったのかもしれない。

 

だからこそ、これから起こる変化は「誰かを倒す革命」ではない。 それは、蛇が皮を脱ぐような、静かで必然的な脱皮なのだと思う。

 


崩壊とは、終わりではなく露呈である

2026年以降、世界のあちこちで起こる混乱や崩壊は、何かが突然壊れるというよりも、 「もう隠せなくなったものが、表に現れる」プロセスに近い。

権威、制度、貨幣、情報、宗教、成功モデル── それらは長い時間をかけて、人々の恐れや欠乏感の上に積み上げられてきた。

今、それらが音を立てて崩れているように見えるのは、 人類の意識が、もはや古い物語を信じきれなくなっているからだ。

 

崩壊は破壊ではない。 それは、幻想が役目を終えたというサインなのだ。

 


脱皮は内側からしか起こらない

蛇は、外から皮を引き剥がされるのではない。 内側の成長が、自然に外側の皮を裂く。

DSからの脱却も同じだ。 支配構造を批判すること自体が目的になってしまえば、 意識はまだ「古い物語」の中に留まり続ける。

本当の脱却とは、

  • 恐れから選択しないこと

  • 誰かに正解を委ねないこと

  • 自分の感覚と良心を信頼すること

そうした静かな内的変容の積み重ねによって起こる。

 


日本人の精神性が示すもの

これからの新しい世界において、日本人の精神性が重要になる── そう感じる人は少なくないだろう。

それは、日本が「特別に優れている」からではない。

  • 自然と対話する感性

  • 見えないものを畏れ、敬う心

  • 調和を重んじ、循環を大切にする文化

  •  

これらは、支配ではなく共鳴によって世界を成り立たせる感覚だ。

縄文的とも言えるこの意識は、 上下や優劣ではなく、横に広がるネットワークを自然に思い描く。

新しい地球文明に必要なのは、 誰かの上に立つリーダーではなく、 それぞれが自分の場所で響く「調律者」なのかもしれない。

 


新しい世界は、もう始まっている

2026年から始まる世界は、 劇的な号砲とともに切り替わるわけではない。

すでに、

  • 古い殻に違和感を覚え

  • それでも争うことなく

  • 自分の在り方を静かに更新している人たち

  •  

その一人ひとりの内側で、 新しい世界は先行的に誕生している。

DSからの脱却とは、 何かを告発し続けることではなく、 もう必要のない物語から、そっと降りること。

 

脱皮を終えた蛇が、 振り返らずに森へ消えていくように──

ぼくたちもまた、 新しい皮膚で、新しい地球を生き始める時に来ている。

 


思い出せ。 わたしたちは、もともと自由だったことを。
そして、調和の中で生きる術を、すでに知っていることを。

HO! ミタクエオヤシン

 

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いやぁそういえば、明日10日はデヴィッド・ボウイの命日ですよね。

亡くなったのが2016年なので10周忌になります。

 

当時正月明けの彼の訃報には、ちょうどニューアルバムをリリースしたばかりだったので、かなり驚きました。

 

当時2016年1月16日の記事をシェアさせていただきます♪

 

 

 

 

「信じ込まされる世界」から「自分で感じ、考える世界」へ

私たちは今、音もなく世界の“前提”が書き換わる瞬間に立っている。

それは、ある日突然何かが終わるというよりも、 気づけば、これまで当たり前だと思っていた価値観や信念が、 静かに色あせていくような感覚に近い。

誰かに教えられた正しさ。 権威によって保証された真実。 疑うことすら許されなかった世界の見方。

それらが今、問い直されている。

私たちは、 「何を信じるべきか」を探す時代から、 「自分は何を感じているのか」を思い出す時代へと移行しつつあるのかもしれない。

近年、3I/ATLASという謎めいた存在(あるいは現象)をめぐって、さまざまな見解がネット上で語られてきた。科学的観測、仮説、陰謀論、チャネリング情報……それらは一見バラバラに見えるが、私はそこに一つの共通した響きを感じている。

それは、

「信じ込まされる世界」から
「自分で感じ、考える世界」への移行

 

という、人類共通の意識的課題だ。


なぜ今、「宗教の終わり」が語られるのか

あるチャネリングでは、3I/ATLASの真のミッションは「人間が作った宗教を終わらせること」だと語られている。 この言葉だけを切り取ると、刺激的で、恐れや反発を生みやすい。

しかし私はこれを、宗教そのものの否定ではなく、 **「宗教が担ってきた役割の変化」**として捉えている。

これまでの人類史において宗教は、

  • 世界の成り立ちを説明し

  • 生きる意味を与え

  • 善悪や秩序を外部から規定する

という重要な役割を果たしてきた。

だが同時に、それは

  • 権威への依存

  • 教義への服従

  • 思考停止

を生む側面も持っていた。

今、私たちは問い始めている。

「本当にそれは、自分の感覚と一致しているのか?」

 

この問いこそが、宗教的枠組みを超えた新しい精神性の芽なのだと思う。


なぜ3I/ATLASは大手メディアで語られないのか

テレビや新聞などの大手メディアでは、3I/ATLASの話題がほとんど扱われてこなかった。 この事実から、「人々が目覚めないように情報操作されているのではないか」と感じる人がいるのも自然だろう。

ただ、ここでも重要なのは二元論に陥らないことだ。

大手メディアは本質的に、

  • 確認可能性

  • 再現性

  • 社会的責任

を重視する構造を持っている。

宇宙・意識・文明観といったテーマは、 既存の枠組みでは説明しきれず、扱いにくい

それは「隠している」というより、

「扱える言語と世界観を、まだ持っていない」

 

という状態に近いのかもしれない。


宇宙存在とは、本当に“外”にいるのか?

超古代から、遥か銀河の彼方からやってきた探査宇宙船が、この太陽系を見守っている――。 こうしたビジョンに、ロマンや懐かしさを覚える人も多いだろう。

私自身は、「物理的な宇宙船が常に監視している」と断定する立場ではない。

だが一方で、こうも感じている。

宇宙存在とは、 人類の集合無意識に眠る“宇宙的自己認識”が、外在化された象徴なのではないか。

それは、

  • 私たちは宇宙の一部であること

  • 地球文明は孤立していないこと

  • 意識は物質よりも広いスケールを持つこと

を思い出すための、のような存在だ。

だからこそ、宇宙存在の物語は恐怖ではなく、 「見守られている」「思い出していい」という感覚を伴うことが多い。


新しい地球文明へ向けて

これからの世界で重要になるのは、

  • 何を信じるか、ではなく

  • どう感じ、どう考えるか

だ。

誰かの正解をなぞるのではなく、 誰かの覚醒ストーリーに依存するのでもない。

自分の内側で起こる微細な違和感や共鳴を、 丁寧に感じ取り、言葉にし、選択していく。

それこそが、 **新しい地球文明における「世界市民の指標」**なのだと思う。

3I/ATLASという存在(あるいは象徴)は、 私たちに問いを投げかけている。

「あなたは、誰の世界観で生きますか?」

 

 

 

信じ込まされる世界を抜け、 自分で感じ、考える世界へ。

その一歩は、もう始まっている。