今、縄文がひそかなブームらしい。
そのブームの立役者は20代から30代の若者だと言う。
ぼくが思うに、これは第二次縄文ブームと言ってもいいのではと思う。
第一次は1996年だったか、新宿の三越で「縄文まほろば博」というのがあった。
そのきっかけは94,5年頃、三内丸山遺跡の発掘を機にだんだんと縄文文化の価値が注目されていったからだ。
三内丸山遺跡は今から約5500年前~4000年前の日本最大級の縄文集落跡で、長期間にわたって定住生活が営まれていたらしい。
当時ぼくはNYに住んでいたが、たまたま帰国したときに、友人に誘われてその「縄文まほろば博」を観にいった。
ぼくはその頃は知らなかったのだが、94年の三内丸山遺跡の公開を機に、ちょっとした縄文リバイバルが起こっていたのだ。
ぼくは、その頃アメリカに住んでいて、レインボウギャザリングに行ったことでネイティブ・アメリカンの文化に興味を持つようになったのだが、その精神性が縄文文化にとても似ているように感じていた。
自分の中の縄文なるものの憧れというか興味が芽生えたのは、その頃だったように思う。
ちょうどビザの関係で一時帰国していたときに、そのまほろば博を知ったのも、今思えば必然だったのかな(^_^)
残念なことに、縄文人の子孫である我々日本人も、戦後の洗脳教育によって、縄文文化の素晴らしさを封印されてしまったが・・・
しかし、それを現在へと蘇らせたのは、あの岡本太郎なのだ。
縄文の文化が世に認識されていなかった50年ほど前のある時、岡本太郎は火焔型土器を見て、「なんだこれは!」と叫んだらしい(笑)
確かに、初めてこんなものを見たら、誰でもそう思うかもしれない。
このほとばしる生命力というか、こんなものを作ってしまう縄文人の感性に、さぞ岡本太郎は感動したのだろう。
彼が1952年に書いた火焔型土器の写真を載せた「四次元との対話-縄文土器論」で提示したのは、考古学的な解釈ではなく、縄文土器の造形美、四次元的な空間性、そして、縄文人の宇宙観を土台とした社会学的、哲学的な解釈であると。
引用元: 縄文と岡本太郎
岡本太郎は、まさに今に続く縄文ブームの火付け役であり、最初の立役者なのだ。
それまでは、縄文時代の土器や土偶は考古学の分野での発掘物として扱われていたのだが、岡本太郎は、その発掘物を美術品として、いや今風に言えば、オブジェであり、アート作品として価値を見出したのだ。
しかもそんなものを作ってしまう縄文人の感性を宇宙観にまで押し上げた貢献は大きい。
その集大成はやっぱりあの太陽の塔ですよね♪
今、若者を中心にひそかなブームになっていると言うのも、今上映されている『縄文にハマる人々』や縄文展『縄文一万年の美の鼓動』の影響も大きいと思うのだが、若者に特にウケてるというか若者がハマっているという衝動は、岡本太郎のそれに近いような気がする。
それというのは、「なんだこれは! 」という驚きのことだ(笑)
こんな奇想天外な発想をする縄文人っていったい何者?
え?ぼくたち日本人の遠い遠いご先祖様?
え?一万年以上もの間、争わずに平和に暮らしていたって?
なんか土偶って宇宙人みたいだし、けっこうカワイイじゃん!
多くの人々が、先行きが見えない混沌とした今の日本の政治や社会に希望を見出せないでいる。
60年代、ベトナム戦争が激化するなか、若者を中心にアメリカではフラワームーブメントが起こり、世界中に広まっていった。
その若者たちはヒッピーと呼ばれ、愛と平和を訴えた。
そして、ジョン・レノンは70年にカナダから世界中へ向けて、ヨーコと供にベットインして「WAR IS OVER」とメッセージを発信した。
ぼくは思うのだけど、若者たちは縄文時代というか、その一万年以上ものあいだ平和に争うことなく暮らしていた縄文文化、いや縄文文明と言ってもいいのだが、そんな社会に希望を見出しているんじゃないかと。
そこにはロマンがあるし、想像性と豊かな感性があることを若者たちはキャッチしているのだ。
それはぼくたち日本人がもともともっていた感性なのだから。
縄文回帰、そして縄文ルネッサンスへとひそかにしずかに、少しずつではあるが、このブームが確実に広まって定着していくのかもしれない。
おそらく縄文人はそれを願っているからこそ、土器や土偶にメッセージを託して、この時代に発掘されるように仕組んだのではないだろうか?
それはまるで、起動装置かのごとく・・・
ちなみに昨日、ふと寄った鴨川のカインズで買ってしまった(^O^)
これはぼくのライブ時の縄文セットです~♪(^O^)