ヤギさんぽ | 賭の虫

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◇あくまでオケラさんの日記帳!内容も表現も自由!言いたい放題、書きたい放題!誰に遠慮することも無く、書きっぱなし言いぱなし!こんなにも人様の事を考えない【自由】過ぎるブログは大嫌いっていう人は 無理してアクセスして来なくて結構です!

「一歩歩けば、そこにひとつの出会いが生まれる…」 散歩人・ヤギさんが“一歩一会(いっぽいちえ)”をテーマに自由気ままに街を歩きます!



『皆さん、こんにちは!今日は戸田公園の方に来ております。


日頃の行いが良いので生憎の空模様というか、蒸し暑い一日になりそうですね?


戸田といえば、ワタシも昔は競艇にハマっておりましてねぇ?


車上生活をしている時は、西川口の《ゆの郷》に住んで戸田競艇場に通っておりました。

所持金が少なくなってくると、《ゆの郷》の駐車場や道の駅《あんぎょう》で夜を明かして戸田に通っておりました。


シティテラス戸田公園のチラシ配りも三年以上通いました。

なので、戸田公園は庭みないなものなのですよ!

戸田競艇場も懐かしいなぁ?

戸田での様々なエピソードを思い出しながら、今日はあちこち歩きまわりたいと思います。

ではまずは、戸田公園駅からスタートしたいと思います。』







(この戸田公園駅では、シティテラス戸田公園のチラシを土日に配っていたのよねぇ!この駅では、真夏にリーダーと取っ組み合いの喧嘩をやっちゃったことがあるのですよ!理由はやる場所を巡ってと言うかねっ?
三人でやってたんだけど、この駅はやる場所によっては一日中日陰の無い所でやるようになっちゃうわけよ!だからワタシはリーダーに、みんな不公平にならないように一日をローテーションにして、みんなが公平になるように提案したのよ!
だって、リーダーは毎回一日中日陰の場所で出来る東口側に行っちゃうから!
しかもサミットの横の中通路内でやってるから、一日中陽射しを浴びないでいいわけですよ!西口でやってる二人は、8時もやってると一日で日焼けしちゃいますからねっ?でも毎回そのリーダーにローテーションでやりましょうって言ってるのに一考に聞き入れてもらえなかったから、ワタシは堪忍袋の緒が切れてブチ切れちゃったって言うことだったのよねぇ?
奴のYシャツをズタズタにしてやったわよ!だってリーダーって言っても、ワタシよりたかが一月早く始めてただけの若造だもの?それに社会に出たことないのか、初日から兎に角生意気で横柄で、口のききかたも知らねー奴だったし?
だいたい奴は、一人になると怠けてばかりいたしねっ?もう一人の人は、平日は工場で正社員で働いている人だったから、言葉遣いもまともだったし、場所も何処にまわされてもワタシのように文句の一つも言わない大人だったわね!
リーダーの奴は、土日のビラ配り以外は働いてないって言ってたっけなぁ?奴は派遣会社の社員さんにも横柄な態度をとったらしくて、クビになりましたけどねっ?あの喧嘩から三ヶ月後くらいだったかな?戸田公園で三人でやってたら派遣会社からワタシの携帯に電話が入って、
リーダーには帰ってもらうので赤羽駅で待機している女性を行かせるので宜しく!って言われて。この代わりに来てくれた人が銀行に勤めていたらしいんだけど、若くて美人さんで新入社員のような格好で来たもんだから、ワタシも嬉しくなっちゃいましてねぇ?)








(この中通路でビラをまくのは禁止ですからね?警察の許可がおりてるのは外ですから!)





(この《こどもの国》は車上生活者だった時に、お昼御飯を食べていて職員に注意されたことがあるのよねぇ?あの頃が懐かしいわねぇ?)




























(ここは花火大会の時は有料席になるのかしらぁ?板橋側は有料席になるのよねぇ?あの時は一週間くらい通ったかなぁ?板橋側の準備と花火大会当日と翌日の片付けと?池袋の警備会社に面接に行ったんだけど、実際はイベント会社の指示に従って働かされたのよね!河川敷に車を駐めていいと言われたので、毎朝車で通ったのよねぇ!朝は行きの道が混むから朝早くに出発してたから、毎日一番乗りだったわねぇ!花火大会当日は有料席のチケットを確認して通してあげる役だったんだけど、ヤーさんだかチンピラだか知らないけど、下駄を履いて来たグラサンのパンチパーマの奴にいちゃもんつけられてからまれて、えらい目にあったのよねぇ!

有料チケットを持ってないって言うから、土手の上の販売所で買って来て下さいって言ってるのに、何度説明してもチケット無しで有料チケットの入口から入ろうとして困った野郎だったなぁ?水商売の女連れだったから、粋がってたのよねぇ?

花火大会当日の片付けの前にイベント会社の人が、今日はお宝を拾えるかも知れないよ?ってみんなに言ったのよ!でも、もうホームレスの人達が朝一から来て探してるから拾われちゃってるかも知れないけどねっ?って、笑ってるから何のことなのかなぁ?って思ったら、酔っぱらったお客さんや泥酔したお客さんが、毎年お財布を落として帰って行くんだってさぁ?

だから翌日片付けていると、お金の入った財布を拾えることがあるんだって?ワタシも本気になって探してみたんだけど、ゴミしか落ちてなかったわね?)




























(ワタシがチラシを配っていたマンションです。
このシティテラス戸田公園は、完売するまでにかなり時間がかかったのよね?戸田公園駅から離れているから専用のシャトルバスを運行しているんだけど、住民の毎月の管理費の中にはそのバスの管理費も入っているわけなのよ!永遠にバスの管理費を払い続けるのはねぇ?それにシャトルバスなんて面倒臭いじゃない?板橋も浮間舟渡も北戸田も、駅前にマンションが建っているじゃない?このシティテラス戸田公園なんて、競艇場に近いんだから?)








(この東京物流企画は教科書を作っている東京書籍グループの会社なんですよ!イーエムアイという日払いの派遣会社を通して、同じ会社の王子でも加須でも働いたことがあります。作業内容はどこに派遣されても製本の丁合作業でした。ワタシが一番多く行かされていたのが、安行の東京物流でした。横道の交差点(武南病院から真っ直ぐ)の近くの安行と言う所にも、東京書籍グループの東京物流って言う会社があったんですよ!

ワタシはそこでねっ?
昔、刺し殺されそうになったことがあるんですよ!
当時はそこは、通販カタログの製本とラッピングをしておりました。夜勤の日払いアルバイトだったのですが、仕事は単調な《のせ》と言って丁合の仕事か結束でした。結束の人はパレットに積みあがるとラップ巻きまでやらされます。
リーチの免許を持っているおじさんが一人おりまして、その人に声をかけると、ラップ巻きまで終わったパレットを運んで行ってくれます。そんな作業を夜の20時から朝の8時まで延々とやるのです。日当は交通費込みで一万二千円以上は貰えました。休憩は1時間です。始めた頃は自前のカッターを持って来て作業をしていたのですが、アルバイトの誰かが寝ぼけていたのでしょうけど、商品の中に落としてしまったらしくて?それで、そのままラッピングされてお客さんの所に行っちゃったらしいんですよ?(笑)そのことで、お客さんからかなりのクレームが入ったらしくて、それ以来、自分でカッターを持って来るのは禁止になったんです。
紐切りカッターとハサミに番号のシールが貼ってあって、仕事を始める前に社員さんから借りたら名前と番号を記入するようになったんです?で、帰る時に返却したら、チェックを入れるようにしたのです。全くどこの誰だか知りませんけど、カッターを商品の中に落として気づかないなんて、よほどいい加減な奴なんだか?
で、ワタシのカッターが一本なくなっていたんですよね?ワタシは几帳面な性格なものですから、カッターも二本持って行ってたものですから?なので、その犯人はワタシだったのかも知れませんねぇ?(笑)

前置きが長くなりましたが、この話しは以前ブログに書いております。

イーエムアイは、原則車通勤は禁止だったのですが、夜勤は社員さんが少ないので駐車場が空いている為、ワタシは社員さんに相談してみたところ、車通勤OKにしてくれました。

でも、マイカーで通勤しているのはワタシ一人だけだったんですよね!正社員の人達は、皆車通勤でしたけどね!
なので帰りは、ワタシはいいように使われておりました。
赤羽のカプセルホテル(カプセルホテルで暮らしている人)に帰るから、川口駅まで乗っけて行ってくれ!とか、一番近くの健康ランド(健康ランドで暮らしている人)で下ろしてくれ!とかいうふうにね?
で、ワタシは遅刻はしないのですが、遠くから車まで来ている割にはいつもギリギリだったんですよ!
岩槻の加倉の交差点は混雑を回避して近道で行き、122の浦和の料金所の辺りも混むのですが、埼玉スタジアムが出来る前の話しなんですけど、途中から左に曲がって車一台しか通れない抜け道(お墓のある山)を通って山越えして通勤時間を短縮しておりましたので、何時に出発すれば何時までに必ず到着するという自信がありまして、余裕を持って出ていなかったのです。あと、ワタシは強迫神経症なので、出掛ける前の確認作業にも時間がかかりますしねっ?

そしてある日、事件は起きました。

いつものようにギリギリで入って来たワタシに、一人のオヤジがいちゃもんを付けて来たのです。ちなみにそのオヤジは北海道出身の山谷の人間で、ドヤから毎日自転車で来ている古参でした。「お前、いつもギリギリじゃねーか?みんな早くから来て待ってんのによ!もう少し早く来れねーのかよ!」そう言って来たのです。そのオヤジには丁合のやり方(紙と紙の間に空気を入れながら機械に入れていく)を教わったこともあったので、ワタシが遅刻してしまったのなら素直に謝ったと思うのですが、開始(20時~8時の作業時間)5分前くらいには入っていたので、ワタシも言い返してしまったのです。「テメーに言われる筋合いはねんだよ!社員でもねーのに、社員ヅラして偉そうに言うんじゃねーよ!」と、ワタシの方が逆ギレしてしまいました。
そうしたら、そのオヤジは何を思ったのか、作業で使うハサミを持って来てワタシに向けて刺そうとしたのです。そして「俺にはもう何も捨てるものはねんだよ!」と言いながらワタシに向かって来ました。ワタシも流石にビビりました。本当に刺されるかと思って、血の気が引きました。その様子を見ていた正社員の赤鬼(怖い人なので、アルバイト連中からは赤鬼というニックネームが付けられておりました)が直ぐに来て、そのオヤジを取り押さえた為、一件落着となったのですが、仕事中もなんかそのオヤジは興奮が冷めやらぬ感じでしたね?ワタシもすぐにキレる性格だから駄目なのですよ!それに素直に謝らないし?
その件は、派遣会社のイー・エム・アイにも連絡されなかったですし、喧嘩両成敗と言うことで何のおとがめもありませんでした。ワタシがそのオヤジに謝ったのは、その会社を辞める最後の日でした。「市場に就職が決まったので今日で辞めます。あの時は本当にすいませんでした。」と言いました。林さんと言う方でしたが、「就職が決まったんなら、もう二度とこんな所に来るんじゃねーぞ!日払いなんていつまでもやるもんじゃねんだよ!」と仰って下さいました。ワタシは市場に就職してからも借金まみれのギャンブラーでしたから、岡田屋さんでバイトするようになるまでは、たまに土曜の夜に入れたりして、安行の東京物流には日銭を稼ぎに行っておりました。朝の8時に仕事が終わると、一万二千円以上もらえましたからね?それこそ夜勤なので、冬は市場のジャンパーを着てやっておりました。
その林さんと言うオヤジさんは相変わらず元気に来ておりまして、久しぶりにワタシの顔を見つけた時には「こんな所にはもう二度と来るんじゃねーぞ!って、言っただろ?市場辞めちゃったのか?」と、怒り気味に言って来ました。
ワタシが辞めてないことを伝えると、納得してくれて仲良くして下さいました。ちなみにその林さんと言うオヤジは、パチプロだと言っておりました。だけど特定の台(一機種)しか打たないので、その台がなくなったら喰えなくなると言っておりましたね?なんだかドヤの近くに学校があるらしくて、保育園だったかな?その子供達の声がうるさくて、昼間もなかなか寝れないんだよ!と、言っておりました。その人、悪い人じゃないんですよ!誰よりも働き者ですし?社員さんも林さんが働き者なのは知っているから、ハサミ事件の時もクビにしなかったのだと思いますよ!ワタシをクビにしたら、ハサミを向けた林さんもクビにしなければならなくなっちゃうでしょう?
林さんは、自分はあの現場くらいしか働かせてもらえる所は無いくらいの気持ちでやっていたのだと思いますよ!ワタシのように、「いつまでもこんな所にいたら乞食になっちまうよ?」なんて、まわりの人達を馬鹿にし嘲笑っていたのとは違い、一日生きるのに必死だったのだと思います。ワタシはあの頃(二十代後半)は実家暮らしで両親も健在でしたから、いざとなれば親に頼もうくらいの甘えがありましたからねっ?でも、林さんの言っていたことの方が正しくて、たとえ日払いのアルバイトであろうが、毎日ギリギリで来ていたら嫌われますよ!正社員だって、しょっちゅう遅刻していたら、やる気が無いと思われて相手にされなくなっちゃうでしょう?いつものように話しが長くなってしまいましたが、東京物流の思い出でした。)






(夜の戸田競艇場です。)




『戸田競艇場も懐かしいわね?

予想屋さんとも仲良く話したことがあったけど、皆さん今も元気にしているかしらぁ?

予想屋の渡辺さんは、アイデア商品を発明するのが得意な方だったのよねぇ?ワタシが真剣に話を聞いてあげたら、この商品を営業して来てほしいんだよなぁ?って。。。
なんだか介護やリハビリで使えるような商品だったわね?当時はチラシも名刺も貰ってるんだけど、どこかにいっちゃったのよねぇ?商品の特許の写しはブログでアップしたわよね?
なんでも浦和の自宅には在庫が沢山あるらしくて、売って来る人がいないから赤字なんだよ!って、言ってたっけなぁ?
その話に乗ろうと思ったんだけど、当時はねっ?
実はワタシ、車上生活者だったんですよ!毎日、江戸川と戸田と川口とパラッオを行ったり来たりしていて、過払い金のカネも底をついてきていて、いつお金が入るかわからないような話に乗れなかったのよね!半年くらい生活出来るだけのお金があって、時間にも余裕があったらやってみたかったんだけどね?
だけど、通販の会社になんて簡単に営業出来るわけないし、マツキヨみたいな所にいきなり飛び込みで電話をしても相手にしてもらえるわけないし、難しかったろうなぁ?
営業マンだって、会社の大きなカンバンがあるから、大きな会社にも相手にされてるわけじゃないですか?ちゃんとした会社の営業マンだから、ビバホームのバイヤーも会ってくれるわけよ!通販のジャパネットにも沢山の営業マンが連日押し寄せるらしいけど、ちゃんとしたメーカーから来るから会ってもらえるわけよ!
車上生活者のワタシが名刺を作ってどさ回りしても、なかなか販売店の担当者にはたどり着けなかったはずだわよ!

戸田の予想屋さんといえば、若い頃の富士さんとも良く話したなぁ?
富士さんは、まだ八ちゃんの親父さんがやってた頃は、一階の予想屋さんの中では一番饒舌だったのよ!あの頃は八ちゃんはまだ、親父の横で鼻たれ小僧だったんだから!
富士さんがいろいろ面白いことを言って、お客さんを笑わしていたのよ!例えば「昨日の晩飯のオカズは、岡本義則先生だけは一品多かったんだよ?」とか
「奴らは昨日の夜は宿舎で麻雀をやっていて、その貸し借りを今日のレースでヤリ・ヤラズで精算しているんだ?」とかね!
富士さんのまわりにはお客さんが沢山いたから、富士さんもよく喋ったんですよ!
富士さんは法政大学の夜間部を出ていて、若い頃は日本テレビの食堂で働いていたんですよ!
だから、徳光和夫さんが戸田に来ると声をかけてくれたそうですよ!徳光さんもズームインの頃は、午後は戸田か平和島だったらしいからねっ?ズームイン朝といえば、レポーターが個性的でしたよね?《かよこ姫》こと高橋佳代子アナ、日活ロマンポルノ出身の伊藤克信、四国担当の植松おさみさん、等々。植松おさみさんは《うどん屋》さんを始めたのよね?

ワタシが大学生の時に、大学にもズームイン朝の取材が来たんですよ!サイクルサッカーの世界選手権に出る選手を紹介しておりましたよ!ちなみにチャゲアスも、ザ・ベストテンでワタシの大学の校内で歌ったんですよ!まだ学生の身分でしたからね?

ワタシは浪人時代に戸田の富士さんも見ているし、川口のグレート名門社のお兄さんも見ているのですよ!その頃は階段の下で、親父さんと二人でやっておりましたよ!でも、あのダミ声の口上はあの当時からやっていて、親父さんは殆ど喋らなかったですね?どこでああいう独特の口上を覚えたのですかねぇ?

戸田の予想屋の富士さんは、サンスポに載ったことがあって、その時の記事をカラーコピーしたものを予想台の下にずっと貼り付けていたんですよ!

その記事を熱心に読んでいたワタシに「お兄さん、予想屋に興味があるの?俺の弟子にならないかい?」って言って来たんですよ!ワタシは苦笑いして、会釈して帰りましたけど、もうあの頃は《予想屋さん》の時代は終わってましたからね?一日いくらくらい稼いでいるのかな?

一万円になるのかなぁ?って、思ってました。人気のない予想屋さんなんて、一人も買いませんからねっ?まだ五百円で専門紙を買った方がいいと、ワタシも思っておりましたよ!

昔はねっ?川口も戸田も、御祝儀が凄かったらしいですけど?

川口オートのグレート名門社さんも、最終レースの予想がハズレてると速攻で帰っちゃいますけど、当たっているといつまでも予想台に立っておりますよ!

最後まで御祝儀を持って来てくれるお客さんを待っているのですよ!ワタシは穴をとらせて貰った時しか御祝儀なんて渡しませんけどね?千円や二千円の配当じゃねっ?

昔は御祝儀で一万円札を持って来るお客さんもいたみたいですけど、今は穴を当てても千円札しか貰えませんよ!

昔のように一点に五千円とか万で買ってないから?豆券かせいぜい五百円でしょう?万舟とっても、たかが知れてるじゃないですか?

ワタシはオッズを動かす男でしたけどねっ?
三連複でしたけど、桐生競艇のオッズを動かしました。結果は三連単・八万舟の大穴だったのです。ワタシは三連単は買ってなくて、三連複の4点ボックスにぶっ込んでおりました。
発売開始時点では、80倍あったオッズが、払戻金を見てがっかりしました!三連複は三千円しかつきませんでした。80倍のオッズを、ワタシがぶっ込んだことにより、30倍まで下げてしまったのですよ!ボートピア栗橋での話ですけど、あの時は本当にがっかりしたなぁ?
三連複の売上って、30万もないんですよね?二連複なんて、もっと少ないですからねっ?要は今の競艇は、三連単じゃないと勝負出来ないのですよね?また話が長くなっちゃいました。

ところで、ずいぶん暗くなって来ちゃったわねぇ?』
























(真っ暗な戸田競艇場です。)





(夜の戸田公園駅です。)




(西口です。車上生活をしている時に夜の戸田公園駅でホームレスの人と話をしたことがあったわねぇ?夜中に西口のトイレを借りて、木のベンチにちょっと座ってたのかなぁ?そうしたら、ワタシを路上生活者とでも思ったのかしらぁ?声をかけてきたのよねぇ?餌がどうたらこうたらって。。。その人は、ガードの下にそのまま寝ている人だったのよ?小屋もなければブルーシートもない?ガードの下にちょっとした荷物を置いて、毛布の一枚も掛けないでそのまま寝ていたのよ!別の日に見つけて、あの時の人だぁ?って。
近くに交番があるから何か言われる筈なんだけどね?
まぁ、ギャンブル場のある街には、ホームレスの方が多いですよね?府中は競馬場と競艇場の街でしょう?で、近くの多摩川の河川敷には沢山のホームレスの人達がねっ?
川崎だって、競輪場と競馬場があるじゃない?近くの多摩川の六郷橋付近の土手には、沢山のブルーシート小屋がたち並んでいるでしょう?
川口オートのそばの青木町公園にも、昔はホームレスの人達が住んでいたし?
浅草のウインズで破滅したら、隅田川公園でしょう?
戸田競艇場の裏の荒川河川敷でしょう?笹目橋から浮間舟渡、赤羽を経由して鹿浜橋までに結構おりますよ!
江戸川競艇場の裏の荒川河川敷も同じだよね?
江北橋から小菅、四ツ木を経由して江戸川競艇場付近、葛西の方までおりますよね?

ワタシもある年齢まで両親が生きていて、家に家賃も入れないで実家でただ飯を喰っていけたからホームレスになることはなかったけど、両親が若い頃に亡くなっていたとしたら、しかも持ち家じゃなかったら、間違いなくホームレスになっていたわよ!だって、集団行動が苦手で仕事が続かないでしょう?キレやすい性格でギャンブル中毒で借金をすることに全く抵抗がない人間だもの?そうなると、最後は日雇いの世界なのよ!で、落ちるとこまで落ちれば、成れの果てはホームレスだわよ!)





『今日は昔のことをいろいろ思い出しながら散歩をすることが出来ました。

では、さようなら!』