看護師になって初めて配属されたのは
「神経内科」という病棟で、
そこは高齢者の多い科でした。
神経の難病が多くて 認知症とか麻痺とか、障がいが残る病気も多かったのだけど
病気の内容とか経済状況、後遺症とかに関係なく、
幸せそうに老いてる人と
そうじゃない人がいる
ってことに気がつきました。
幸せそうな人は当然看護師の間でも人気があって
「〇〇さんって癒し系だよね〜」
って話しかけられたり、可愛がられる。
でもそういう人が必ずしも病気が軽いわけでもないし、お金持ちなわけでもない。
なんなら寝たきりでも
なんかこの人可愛いよなあ、癒されるよなあっていう人もいる。
これってなんの違いだろう??
って病院で色々と観察してると
幸せそう(もちろん実際には色々と大変だろうけど、悲壮感に持ってかれてない、というか。)な人、
なんか可愛いとか、関わりたくなるって感じる人
に共通してるのは
『老いた自分自身のことをゆるして受け入れてる。
自分と仲良く付き合ってる人』
なんだと気がつきました。
失禁しても、何か介助が必要でも、
そんな自分のことを自分が受け入れてるから
介助したときに
「ありがとねえ
」
って言ってくれる。
そういう自分を受け入れていなかったり責めていたりすると
「手をかけてごめんなさい
」
になる。
そう言いたくなる気持ちはものすごくわかるけど、
介助をしてて嬉しいのは、やっぱり
「ありがとねえ
」
の方。
それに、せっかくここまで長い時間頑張って生きてきた人生、
最期の時間には
できれば自分のことを責めずに生きられたらいいなあと思います。
じゃあどうしたら、
歳とった時に自分のことを受け入れられるだろう。
そもそも私は、今の自分のことを受け入れてるかな?
って考えた時、とてもじゃないけど「受け入れてる」とは言えないなあと思いました。
かっこつけだしプライドは高いし、でもポンコツ。
ポンコツのくせに賢く見えるように、必死に頑張っている(笑)
上手くやれてるかどうか、いつも自分を見張って、人のことも見張る
つい周りに合わせるくせに不満
こういう自分、全部嫌い。
若くて元気な今、自分を受け入れてないのに、
歳とって体が不自由になってから受け入れるなんてめちゃくちゃ難しいだろ!!
って思ってびっくりしました。
だから
『自分を知る』
『自分を大切にする』
っていうことを、
今のうちからやっとくといい。
どんな自分でも知って、慈しんで、やりたいことをさせてあげて、面白がれたらいいなあ、と思います。
それで、
心とか意識の仕組みについて学んだり、ノートを書いたりするようになりました。
「今の自分を知ること」
「今自分がやりたいことをやらせてあげること」
はそのまま、
何十年後かに歳をとって人の手を借りる時の私が
「それでも自分を大切に思えていること」
「お手伝いを感謝して受け取れること」
に繋がっていると感じます。
みんな順番に歳をとって、「していたこと」を「してもらう」側になる。
みんなが必ずそこに向かっていくんだから、
介助する方も、される方も、気持ちよく出したり受け取ったりできるといいなあと思います。
『人が老人になった時、自分のことを大切に思えている』
っていうことは
シンプルなんだけど周りにものすごい勇気を与えるし、
そういう人が醸し出す安心とか癒やしのエネルギーってすごいんだよな。
近くにいるだけで幸せな気持ちになる。
これができるの、赤ちゃんと老人の特権だと思う。
でも今は老人部門ってちょっとネガティブに捉えられがちで、
それがめちゃくちゃ勿体無いなと思います。
今わたしは
カードのリーディングをやったり
自分の深い望みを知る「意識のセッション」をしたりしているのですが
それは全部
自分が本当に願っていることを知ったり
受け入れたり
そこにエネルギーを向けて行動したりするためのもので
「今を幸せに生きる」
のはもちろん!!なんだけど、
『歳をとって老人になった自分のことを大切に思える』
そんな、
「今の自分」から「老いた自分」に渡すプレゼントの用意
を手伝えたら嬉しいなあ、という思いもあります。