シュリーラマナアシュラム


アナザースカイみたいに言っちゃったひらめき





少し前にシュリー・ラマナの本を読んでたら、マハーバーラタで描かれているアシュラ(悪)とデーヴァ(光)の神格の闘いは内側のことだと書かれていました。

すみません、どの本か失念してしまいました悲しい






外側の楽しみに向かう心を内側の喜びに向けることや、内側で起こっていることに気づいて、神の方を向くことだととらえました(如是我聞なので間違えてたらごめんなさい)



それはまさに闘いですから真顔



そうやって心を内側に向け続けること、それはちょっと厳しさも伴うのですが、それを情熱を持って行えたら、喜びになります。





情熱の熱は炎。


上記の写真は以前ラマナアシュラムに行った時ですが、この時は好きなことをする情熱は、私なんかだめだという自己否定を燃やす炎だと思いました。


そのおかげで勇気を奮い立たせて一人でインド行ったりクラウドファンディングもできたのです。


数年経った今はもう少し違う視点があります。




起こることしか起こらなかった。










そして神の方を向く静かな情熱は、カルマを燃やしてくれる気もしてます。


内側に世界を感じてたら思いやりのない行動はできないので、悪業を行いたいとは思えない泣き笑い



つい、無意識だとまだやってしまったり、良かれと思って逆だったりも多々ありますけど不安



ヤマニヤマを頑張って行うというよりは、自然とそうなってくるような。






岡山ドーム






先日のイベントの前日、はじめてイベントが行われる岡山ドームに行きました。

設営のお手伝いをして、広いなぁと感じて帰りました。


その夜、布団に入ってたら、イメージしようとかしてないのにその岡山ドームが小さくなって口から入ってお腹の中に消えていきました。


へぇーと思いながらそれを感じました。


その時にシュリー・ラマナの本に書かれていたことを思い出したのです。



すべては内側のこと。







教えを頭から降ろして体の内側で感じる。


大きい広いたくさん といったことを内側で感じる。



そうしてると内側と外側の境目が曖昧になって、よくわからなくなります。













マハーバーラタもラーマーヤナもどこか遠くの国のお話ではなく、自分の内側で起こっていること。

アルジュナもクリシュナも。

ラーマもシータもラクシュマナも。

ラーマーヤナ大好き芸人としては、ラーマーヤナの世界を内側に響かせながら読むのはとても楽しい。




ここがわたしのアヨーディヤと感じるのは最高目がハート


追記:アヨーディヤが実在する場所なのを後から知りましたてへぺろ









ラマナアシュラムも中々行けれませんが、内側で訪れさせていただいております。