自分のパターンがよく見えるようになると、その反応が出てきたら行動する前に気がつけるようになる。
人に怒る前に気づく。
認めてもらいたい衝動に気づく。
それってあなたのヴァーサナですよね
とひろゆき氏のように冷静になる。
あなたというのは、ここにいる私のこと。
ヴァーサナとは潜在的な心の傾向。
この反応に気づかず引っ張られて起こる行為がカルマ。
カルマを重ねることによって生じるのがサンスカーラ。
このようにひとつひとつ見ていくと、訳もわからず巻き込まれていたことに光が当たり、無知の闇が晴れていきます。
これに気がつき始めた私は今までの自分の愚かな行為に気がつき、ふと思い出しては「死にたい」って反応出てきます
それもまた反応。
と気づいて内側で静かにするだけ。
どうすることもできない過去も未来も現在も
シャラナガティ。
普段私と思っているものは、光に照らされた、データからのホログラムのよう。
不確かなもの。
このデータがヴァーサナ。
ヴァーサナから反応せず、新鮮な今この瞬間に委ねてみる。
そうするとそれまで重要だと思っていた「職場の人からの評価」や、持っているもので感じたかった「自分の価値」などから自由になっていきます。
それらが悪いわけではなくて
「それを重要だと思っていたんだな」
と慈悲のような、労わるような気持ちがこの心身に対して起こります。
そのためにすることは、データと共にあるホログラムではなく、それを照らしている光の方をみること。
データの解明は光を見ることで自然に起こる。
データを良くしようとすることなく、光に任せる。
光とはここに顕れてるものを顕してる愛。
それなくして何も顕れることなく、それを知ることがほんとうに価値のあること。
先日のヨガで、最後に少しウパニシャッドを読みました。
呼吸と瞑想、ちょこっと哲学のクラスもやりたいな♡