きょうむ=興味を持つ(日本語じゃないね)


私は墓場まで持って行けそうな持病持ち。フランスで病気が出て、日本語でも仏語でもさんざん調べたので、一つの病気の知識をもつことは大事であり、あやふやな情報には、自分なりに線引をしている。また、しばらく前に、障害者認定をおろさせた。それに従って、親子ユニット「リム」の公演を、知的障害児へもオープンなものにしたいと思った。(障害児”用”ではない)


そんな中、簡単に、まだよく知らない症状を語るのは軽いことであると自覚しているが、取り急ぎ書いてみたくなったことがある。アスペルガーという障害?症状?についてだ。


日本でたまたまアスペルガーの児童に会ったとき、私は、な~~んも違和感を感じなかった。最近ネットで、本人も子供もそう、という人の文章を読んでみたりすると、ふうん?と思うのだが、心の底では「で、なんで障害なの?」と思っている。


たとえば。

「これ、ほしい?」と質問されて「いらない」


というと、まずいのだそうだ。やんわり断らないと相手が傷つくとか、相手に失礼なのだそうだ。


アスペルガーの子と少し話してて、マイペースだなとは思っても、

「子供ってそんなもんだろ」と思ったり、質問をすれば、はいかいいえでスタスタと返事がかえってくるので、

「むしろ、日本の子供にしては明快ではないか」

と思ったのだ。


で上の例を考え直すと、日本では「いや~今はちょっと・・・」など、ごにょごにょ言い、NOをはっきりさせないのが美徳らしい。(こういう書き方も乱暴ですけども)クラスでも、「協調性がない」というので、児童の中で公的にいじめを受けたらしい。


すると、この例のアスペルガーは、「日本の中のアスペルガー」ではないのだろうか、という疑問がわいてたまらないのである。


「これ、ほしい?」


「えーと、うーんと、ごにょごにょ」


「いるの、いらないの?はっきり言いなさいよ」


というのがフランスだからである。ここではっきり言わないと、大人であっても相手にデキン、というのが一般的のようだ。


アスペルガーの子のに、外国語を習わせたらすごくそれはのびるのじゃないか、と真面目に思うのである。内容にまっすぐつきすすむからである。というのもまた単純思考で、英語や仏語ならいいかもしれないが、そのほかの言語とその文化には日本と同じように「はっきり言ってはならない」国もあるだろうから、取り合えず英語とかフランス語的思考が、割と(在日の)アスペルガーに得なのではないか?という風に思っているのである。


もう一つ発想の転換をしてみると、ものごとにハイ、イイエ、を言える方が「普通」であったなら、ごニョごニョ口ごもって自己を表現できない方が「しょうがい」となる。さらに、「いらない」とはっきり言われて「傷ついた」と感じるのであれば、(単なるnoの表示に傷ついた)それに傷つく方が異様である。ということになる。


これはまったくもって、フランス暮らしに楽な考え方なのだ。日本人がフランス社会でこういう反応をして「すすめたごはんを断られた」と泣き出したりしたならば、フランス人は「一体何事か」とあわてるか、呆れるかだろう。断る、というのは行動か反応で、それ以上のきもちが入っていないからである。


「いらないからいらないと言ってなぜ悪いのか?」


日本人ならば「なんてことをいうんだ、恥を知れ」と日本刀を取り出す方があるかもしれぬ。


しかしフランスというのはそれくらい日本とずれている。逆にすれば日本はフランスとそれくらいずれていて、「人情」がべたべたなようである。


うまくまとまらないのだが、


普通 しょうがい


の間というのはあいまいであり、物事逆にすると、逆もまた真なりということで、普通がしょうがいとなり、障害が普通である社会もありうるのではないだろうか。


過去において、障害のあるものは社会の邪魔扱いをされたりしている。農作業に皆でとりかからねばならないとき、人出がかかり、助けにもならないのであれば、たしかに邪魔だったのだろう。しかし、現在は世の中もその時代から少し遠ざかっているはずだ。


クラスの皆と同じでなくてはならない、皆と同じでなくてはならないという教育を受ける中、マイペースな児童がいたら先生もやりにくかろう。とすると、現在の障害児の多さ(ふえていないのだろうか?)というのは、「型に入れられないから外に出しておく」「皆と違うので、どうしたらよいのかわからない」という教育方針のなさ、あるいは、教える側の恐怖感のあらわれではないか?


型にはめられて育った子供たちが大人になる今、それは彼らの子供たちに伝わって、増幅しているのかもしれない。


個性を伸ばすというが、個性は芽をつぶさなければよい話であって、無理やりのばすものではない。


なぜなら、人間はうまれたときから各自の個性をもっているからだ。


しかし日本では、親の方が「他の人に恥ずかしくないように」「他の子と同じように」と必死になって育てる傾向がないでもない(その反対もあって、放りっぱなしのケースもあるそうだが)



書き飛ばしてきたが、まともな話とするためにはフランスにおけるアスペルガーを少し調べる必要があることだろうな。