子供もだいぶ大きくなった。日本へ行くと特にまだ子供扱いされるような気がしてならないが(最もJRは助かりますが)こっちとしては、大人扱いしすぎてきたのかな?という、ちょとした後ろめたさみたいなものが、実はあるのだ。


日本国外のハーフに対してよく言われる


「母親が日本人の場合は、幼少期を母と一緒に過ごすので日本語に問題はない」


だが、うちの場合はそういうわけにいかなかった。私が出産後病気判明となり、そもそも判明する前から手が使えない状態であったため、自由業といえるミュージシャンの夫とその近所に住む家族に助けられ、かわいがられ・・・・で、そんなに一緒に過ごしてないというわけ。


これもよく言われるが、子供のおしゃべりは、ゆっくり始まった。二ヶ国語を耳から挟んで整頓するのは難しいというか時間のかかる作業だったのだろう。両方をうまいタイミングでまぜた絶妙な、今も語り継がれる日仏ギャグもでた。


幼稚園に入って、「言語のアトリエに入れます」といわれて、少しショックでもあった。フランス語を整頓するアトリエである。そこで遠慮して、フランス語優勢にしてしまった。


その後、突然小学校低学年の教科書のクラスに放り込んだ。フランスの現地学校の中で育ち、この教室が少人数であってもニホンジンクラスの雰囲気があわなかったのか、ほんとうに、無理やり通わせた。(そのうち、日仏どちらの子も入れる、大人向けでもあるクラスへ入れることも考えたが、今は宙ぶらりん。)


ここで学んだのはむしろ、私の方だった。なにがあろうと、日本語で話し続ける、という課題。

大課題だ。


でもそれから日本語優先である。最初の頃は「わからない。フランス語で言って」の連続だった。


それから数年たった今年、ようやく、心やすらかに、ふつうのなんということのない日本語の表現を口にすることが出来るようになった。相変わらず本人からはあまり日本語は出てこないのだが、私の言うことはかなり理解しているのであった。


教室に本人の意思無用にて放り込んでから、かれこれ3年以上か。一般的に子供が生まれてから、実際に意味をある程度理解してたくさん話しだすのも3歳くらいを目安にしてよいのではないかと思うが、年行ってから初めても、やはり3年、なのであった。


石の上にも3年というのは決して冗談ではなく、どんな習い事でも「3年はやってみないと」どうなるかわからないのだと思う。音楽なら一年ではなく、最低3年やってみる。へこたれるのは、そのあとなのだ・・・・


20歳くらいになる日本育ちのハーフの先輩に、お礼申し上げる。


「一億円想像するより、二ヶ国語って、ずっと素敵な財産だ」



星新一さん大好きな雑歌屋