人間の修養の深さは、人前と家との差が無くなることだ、といってもよいでしょう。つまり時と場所とが変わっても、その人の根本の心構えが変わらぬということであります。さらに言い換えれば、場所のいかんによって、心に弛みが出ないということです。

 人間の引き締まりというものは、ある意味から申せば、その人が家庭において、いかに心を引き締めているか、その心構えの反映といってもよいでしょう。
 たとえば今あなた方のひとりが、わが家における食事の際、どれほど姿勢を正して食事をするかということが、その人の人間的な態度や様子の上に反映するといえましょう。あるいはその人が、家で新聞の散らかっている上を平気で通るか、それともそれをよけて通るか、それともそれを、ちゃんと片づけて通るか、それだけを見ても、人間が三段階に分かれるともいえましょう。
 あるいはまた弁当箱一つについても、家へ帰れば、自分の弁当箱だけはすぐに洗う人と、自分で洗いはしないがお勝手までは出しておく人と、お母さんから弁当箱をお出しなさいと催促されるまで放っておく人と、これまた人間が三通りに分かれるといえましょう。
 また靴なども同様で、自分の靴さえ家の人に磨いてもらう人と、せめて自分の靴だけはと自分で磨く人と、ついでにお父さんやお兄さんの分まで磨いてあげる人と、これまた三段階に分かれるといえましょう。

 しかしとにかくただ今申しただけについても、大体自分が上の部に属する人間か、中の部に属する人間か、それとも下に属するかは、反省してみれば自分にもよく分かるはずであります。そしてそれこそが、真の操行点というものでしょう。
 あなた方はまずこの点に深く目覚めて、わが家における自分の言動に対して、厳しく修養の第一歩を踏み出されるがよいでしょう。そうすれば、学校や世間における生活は、自ら改まってくるものです。

 かくして家庭生活こそは、実に人間修養の根本道場というべきであります。もしこの趣が真に分かって、家庭におけるわが生活の根本的な立て直しの覚悟が決まったとしたら、もうそれだけでも、その人の態度の上に、一種の緊張が見られることでしょう。すなわちそこには、未だかつて見られなかったような凛乎たる人間的緊張と、それに伴うゆかしさがうかがえることでしょう。

—女性のための「修身教授録」森信三 著—


----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------


奥ゆかしいと聞くと、なんだか大人だなあとおもいます


落ち着いている雰囲気のある人に言われることが多いですが、私は言われたことはありません


慎ましい言葉や行動、、まだまだです

なにかひとつでもできたといえるように

まずは、言葉に気をつけます

意見は持っていてもよいけど、発するときは空気を読もう

相手の目を見て、静かにゆっくりと、相手に聞こえる大きさを意識して





@ゴーヤの葉隠れ