私の最愛の父
9月11日午後0時に亡くなりました。

肝臓癌多発骨転移
77歳でした。

8月末に
「お正月を迎えるのは難しい」と言われたのですが、8日に容体が悪化。
心臓に水が溜まり、心不全を起こしている。。
あと数日かもしれないと言われ
義姉から連絡が入りました。

10日の夜に弟が
11日の朝に叔母が
そのあと私たち夫婦が訪れ
息が早く苦しいなか
ちゃんと手を握り、目が合い
最後の時間を過ごすことができました。
坐薬が効き、眠りについたと思ったらそのまま、安らかに息をひきとりました。

最後まで在宅だったので
母と同居している兄家族と私と弟と、
たくさんのひとに見守られ、過ごすことができました。

増えていく痛み止め。
痛みがコントロールされるぶん
せん妄がひどくなり、会話の辻褄が合わなくなり、最後は子供に戻ったようになり、母や義姉は大変だったと思うけど、どんな姿でもいてほしかったと思ってしまう。

私が帰ると嬉しそうに迎えてくれた。
せん妄がひどくなってからは
独身が長くずっと同居していた私が、
今も家にいると思い込み、「もう遅いけど、まだ帰らないのか」と心配していたと母から聞きました。

今年に入ってからは本当に痛みとの闘いで、それでも我慢強く愚痴もこぼさず、耐えていた父。
いちばん近くにいた母は、いまもまだ泣くことはなく「やっと痛みから解放されたね」と父に語りかけていました。

大好きなお父さん。
どんなときも味方でいてくれたお父さん。
お通夜とお葬式は
言われていたとおり、大好きな「デキシーランドジャズ」を流したよ。

遺影は気に入っていたハワイのアロハシャツを着た写真にしたよ。
車椅子で散髪にも行けなくなり、
母と私が行きつけの近所の美容院で綺麗にカットしてもらったんだね。
その日に撮った写真だよ。
あれはまだ8月末のことだよ。

たくさんのひとが見送ってくれたよ。
通夜もお葬式も会場にひとが入り切らず、みなさん立ったまま参列してくれたよ。

趣味の水彩画も飾っておいたよ。

みんなで、できるかぎりのことを考えたよ。
寂しがりのお父さんを賑やかに見送ることができて、ホッとしてるよ。

この前の日曜日、食は細くなっていたけど、みんなですき焼きを食べたのに。。

信じられないよ、お父さん。

昨日、お父さんの荷物を整理していたら、私たち兄弟の子供のころの習字や絵、広告の裏に書いたお父さん宛のメモ、父の日の手紙、、、大事にとってくれていた思い出が出てきたよ。

仕事が忙しかったのに
こんなことしてたんだね。

恥ずかしいやら嬉しいやら
みんなで笑いながら泣きながら、
見ていたよ。

思い出はつきなくて
後悔もたくさんあって
父を失った喪失感は、時間で埋めていくしかないのだろうけど
いまは
父を想い、たくさん泣きたいと思う。

もう介護ベッドも車椅子も
大量の薬もいらない。
のびのびと歩けるね、お父さん。

ありがとう。
お父さんの娘でよかった。





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