清国は、250年以上も鎖国をしながら
自給自足の、豊かな国でしたが
その清国を破壊したのは、🇬🇧英国が
持ち込んだ、インド🇮🇳産アヘンでした。
清国の国庫に うず高く積まれていた
純銀の山は、阿片の支払いで
跡形もなく、消えていきました。
紫禁城の高官から 異臭漂う裏通りの
住民までが廃人となり、清国は
熟れた果実が腐乱するごとく
崩れていき、英国🇬🇧は、アヘン戦争を
2度まで仕掛け、巨額の賠償金を奪い
取ったのです。その額、令和の
日本円にして
34兆円を🇬🇧へ、7兆円を🇫🇷へ
くれてやったのです。それでも、
奈落への階段を転げ落ちる、清の
背中を蹴り上げたのは、🇬🇧でした
隣国で アヘン戦争が起きなければ
明治維新はなかったかもしれません
日米&日英の、最初の修好通商条約に
🇯🇵は、『アヘン三斤まで輸入許可』と
明記しました。明治日本🇯🇵は
アヘンとモルヒネを
大量に使用したのです。
明治の陸軍、海軍は 戦争するたびに
痛み止めとして、大量の
モルヒネが必要だったのです
若い、武器商人のグラバーは
軍艦やアームストロング砲を
官軍に売りました。然し、
その武器代は 入金ならず
グラバー商会は 破産しました。
英国と仏蘭西は、クリミア戦争で
ロシア🇷🇺と戦った、戦友でした
強欲で固く、結ばれた戦友でした
彰義隊は、🇺🇸製のライフル銃や
🇬🇧製のアームストロング砲に向かって
槍と刀で、切り込んだのです。
欧米かぶれの官軍は、彼らの
死体を葬ることを許さず、
上野の丘に放置しました
会津若松では、勇猛な、10代の若者が
戦いつつ、婦女子は自決していきました
彼らは 会津の山野に重なるように
倒れていましたが、
その死体を葬ることをも 欧米かぶれの
官軍は許さなかった。と云うのも
このとき すでに、官軍の遺伝子は
欧米の遺伝子🧬を
注入でもされていたのでしょう
参考図書
新説・明治維新 西鋭夫著
文責 akiko