バイカル湖の近くに住んでいた
その頃、気候は温暖で 草木は美しく



小鳥や動物も多く 地上の楽園だった
ところが 冷えてきて


地球は 冷涼気候となり
食料にも 困るようになった



どうしたらいいか
輪になって話し合った



そういうときは 年長の
巫女のおばあさんが輪の中心。



故国を離れることに決まった
その場で分かれて 南下して



去って行った者たちもいた
だが、インディアンたちは



東へ 東へと 向かって歩いた
歌をうたって歩いた


食料は マンモス象だった
ベーリング海峡を渡るときは



海流に流されないよう
葛のヒモで 数珠のように



皆んなの腰を繋ぎ、
手をつないで渡った



ついに、食料のマンモス象がいなくなり
食料を求めて、どんどん南下した




そうして、やっと、ロッキー山脈
辿り着いたのだった



もっともっと、南に向かって
歩いて行った者たちもいた



インディアンの伝承は
『飛騨の伝承』と重なる箇所もある



飛騨の人びとも
池に映る月や 日のさまに


今を どう生きるかを 輪になって
語り合ったと 云う






❣️