播磨地方のイヅモ国をヒボコが襲ったとき
救援を頼まれたヤマトの磯城王朝、
フトニ大王は、最初、それを無視したが
ついに、御子のキビツヒコとワカタケキビツ
に播磨を攻略するよう命じた、御子二人は
播磨を道の入口として、吉備国を平定した播磨にいたヒボコ勢の一部は船で淀川を
さかのぼり、琵琶湖の東岸、坂田に去った
残りの一部は吉備に逃れたという
フトニ大王は播磨を占領したが、その地を
イヅモに返そうとはしなかった
そればかりか、大軍をつかってイヅモ領の
吉備国を占領した、今までヤマトの
磯城王朝を親戚だと思っていたイヅモは
予想もしない出来事に衝撃を受けた
残りのヒボコ勢の一部は安芸国府中に去る
フトニ大王はそのうえ、イヅモ王国を
滅ぼすことを考えて、伯耆の国に侵入した
四十曲峠から北上し、根雨、江府に進み
日野川をさらに北上し、伯耆にでた
フトニの吉備軍は、富家の東出雲を攻めるため
日野川の下流を大軍で襲った
敵兵に囲まれた要害山のイヅモ兵は
一人残らず戦死した
吉備軍が最期の要塞を越えようとした
ときだった、『物部軍が和歌の浦に上陸した』
という知らせがフトニを驚かす
やはり、物部はそうしたか、早まった❗️
と失念したのだった、このとき
フトニは地方の王に成り下がった
フトニ王の死後、その贈り名は孝霊である
