閃きから考察していく。

 

様々な形でメッセージは来る。

 

 

ずっと、こんな形が

脳裏に浮かびましたが

意味が分かりませんでした。

 

鱗紋

龍神や弁財天を祀る神社に多い

 

志賀町の奈豆美比咩神社に行くと

社紋が 鱗紋だったので

この形を 心に留めました

 

 

そして、先月中旬

石動山に着いた時 (浄化の下見)

ラジオから東京タワ~と音楽が流れ

何となく口ずさみました(門松敏生 歌)

 

そして

伊須流岐比古神社 (石動山)の鳥居で

男性と出会い 挨拶を交わしました。

 

男性は 生家が近くなので 時々訪れ

現在は東京在住で

港区 増上寺から来られたとの旨。

 

あぁ…東京タワ~ のある所気づき

そんな言葉を交わし 閃きました。

 

江戸城の鬼門寛永寺 , 裏鬼門増上寺

鬼門ライン心に留めました

 

ちなみに

東京から石川県は西北=神聖な方位

=加賀100万石を潰せなかった…説アリ

 

そして

最近行った 遺跡や神社の位置を見て

鬼門ライン 驚きました。

 

 

七尾万行遺跡 (3世紀半ば~4世紀)

須恵器産地 (6世紀初頭~400年間)

ライン上にあり 歴史は古い!

 

北の能登島を押さえられた?

 

七尾万行遺跡

(Wikipedia)

七尾万行遺跡は縄文時代から近世へと続く

複合遺跡とされ 能登地域を越えた政治勢力が

関わった可能性も示唆される。

古墳時代の政治状況や社会を知る上で極めて重要

 

日本の国家形成  , 建築史も

ひっくり返る歴史があるのです。

 

 

 

そして、

その七尾からのラインの先には

能登王墓・雨の宮古墳群があります。

(4世紀の中頃~5世紀の初め)

 

石川県最大の前方後方墳があり

能登一円に支配権を及ぼした王。

 

 

 

 

そして 向かい側の古墳は

小田中親王塚古墳(4世紀の後半~末期)

大入杵命 (崇神天皇の皇子)が祀られる。

 

皇子の働きは 北陸の権者を束ね

日本海側を掌握する元になった。

 

 

さて さて

この中央の三角には何があったか!

すっぽり川田古墳が入りました。

 

4世紀中頃~6世紀末まで造られ

北陸地方でも有数の古墳群です。

 

北陸地方では最大規模の250基で

中能登町全体の古墳の数は 約570基!

 

 

古墳の入り口  白山神社 鳥居

 

白山神社 拝殿

 

古墳の池  清らかな水

 

 

 

能登全域の支配に関与する能登氏は

大入杵命大入来命を祖名とし

 

崇神天皇の皇子は 大入杵命

垂仁天皇の皇子は 大入来命

つまり、天皇の末裔です。

 

豪族の姫との政略結婚によって

和合していったのでしょうねお願い

 

 

そういえば、昨年

白山比咩神社の団体参拝に参加した時

 

羽賀ヒカル氏が

白山比咩神社と

能登の遺跡が重要

だと言われました。

 

白山王朝があった場所は霊場。

鬼門・能登の霊場は石動山

 

今回  

能登の浄化に来て下さった方々も

白山比咩神社へ呼ばれたそうですお願い

HIROMIさんが 詳しく書かれています。