ヤバすぎる秘密と能登

 

第10代崇神天皇の時代から

日本の政権は

大きく入れ替わっていた!

 

この時、日本の人口が半分になったと記される

「大物主」の祟りの真実とは!

 

 

 

 

先日、

崇神天皇の皇子・入杵命の陵墓

について、綴りました。

それは、

石川県・中能登町にあります。

 

 

 

大入杵命は 能登臣の祖先とされ

能登と大和は繋がっていました。

 

大和政権にとって、

中能登重要だったのです。

 

それは

 

宝石赤高句麗外交を確保する上に重要

宝石赤渤海文化の流入口となった

宝石赤海外文化の流入口となった

 

 

つまり

異民族との取引を能登が仲立ちし

中央の権力を蝦夷に及ぼすための

基地だったのです。

 

 

天照大神=物部系(天孫族)祖神

大物主=出雲族の始祖祖神

倭大国魂神=阿波国の神祖神

 

崇神天皇の時代に

物部中心の王朝として

日本が纏まりました。

 

 

倭国大乱が終わって

ヤマト王権の中枢に入った物部氏は

出雲の神を蔑ろにし、

自分たちの神を中宮に祀った。

 

それが原因で出雲族の残党や

朝廷内の権力者がキレて

反乱を起こした。

 

 

出雲系の神々を排除した結果

国は大荒れし人口は半減した。

 

 

崇神天皇は自分達の神である

天照大神や倭大国魂神を

宮中から出し 他の場所で祀らせた。

 

さらに

出雲王家のオオタタネコを呼び

出雲系の「大物主」を

大切に祀ることで解決した。
 

 

神武天皇

大規模な政変の末にトップになった

崇神天王

同じ流れでトップになった

 

神宮皇后応神天皇

大規模な政変を行った可能性が高い

 

 

 

泰澄太師は能登の霊場を開き

重要視していた…

生まれ故郷に思いを馳せる…

 

 

歴史の裏側が面白く

学びが深い!

 

 

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