ゴールデンウィーク最終日車

長女を車で駅まで送って行く時のこと

夫が後部座席から助手席の長女に仕切に話しかけていました。


俺はあっち側の人間になりたかった。プンプン


今は頑張って働かない方が、給付金や奨学金や沢山もらえる。

俺が頑張らなかったら

働かなかったら、お前は給付金や奨学金で大学に行けた。

勿体なかった。プンプン


夫の言うことはよく分かりませんでしたが、障害者は無理して働かない方が

奨学金や給付金がもらえて得をする。

と言いたかったようです。タラー


助手席に乗ってる長女は、父親の言葉は意味不明な様でスルーしていました。タラー


私は夫の言葉で腹が立ちました。プンプン


お父さんは自分が働かずに無職の方が良かったと思ってるの!?

私は嫌だよ。プンプン


お父さんが働かなければ家が貧しくて

奨学金がもらえたり学費が減免されたかもしれない。

でもね、それって子供の可能性や選択肢を狭めるんだよ。物申す


私は自分が手に障害があっても働いて

お給料貰って、娘達に行きたい学校行かせられて良かったと思ってるよ。


確かに損得で言ったら、働かない方が楽だし得かもしれない。

毎日家でテレビ見てゴロゴロして

好きなことだけしてればふとん1ふとん3

仕事で失敗もしないし嫌な思いもしないし、体力的にも精神的にも楽だと思う。

でもそれで良いの?

子供に胸張って親だって言える?


うるせー!ムカムカ

夫は後部座席で私に怒ってムカムカ

俺はあっち側の人間になりたかったんだよ!ムカムカ

あっち側の人間!と連呼してました。


私は運転席で夫にイライラしていました。

あっち側の人間って何!?!?


助手席の長女は何も言わずにスルータラー


長女が大学生だった頃は給付型奨学金の制度はまだ無かったし

大学は親の所得が非課税世帯なら半額免除の制度はありましたが、

それ以外に交通費や教科書代、パソコンや材料費なんかもかかるし

親が多少無理してでも働いていた方が

良いと思ってたんですけどね。


夫が脳腫瘍になった時はまた40歳という若さでした。

長女は高校二年、次女は小学5年、私は39歳で、

これから教育費がかかる時期でした。


その頃の私は、1日6時間、週5日のパートで働いていたけど、

子供達に父親の病気や障害で、進路や将来の夢を諦めて欲しくないと思い、

病気の夫を支えながら転職するのは不安しかありませんでしたが

将来を見据えてフルタイムの仕事に転職しました。ネガティブ


でも夫は仕事を辞めて無職になって

働かずして福祉で生きていきたかったんだと今更ながら知りました。えーん

もう12年経ってるんですけどね。アセアセ


そんなに働きたくないなら仕事を辞めればいいんじゃないかと思ったり

せっかく職場が障害者雇用で仕事をさせてくれてるのに勿体ない。と思ったり、色々考えてしまいます。驚き


仮に仕事を辞めたら、夫は私の扶養に入って無職で生きていくことになると思うんですが、

毎日何をして過ごすのか?


夫が人の助けがなくでも家事が1人で出来るなら、

専業主婦の様に、専業主夫という生き方もあるのかもしれないですが、夫は高次脳機能障害。アセアセ


火の取扱いや、1人で家の中で助けなしで過ごすのはやっぱり心配。アセアセ


家で一日中だらだらテレビを見て、

ヘルパーさんに来てもらい助けてもらって、何となく家の中で過ごすのは勘弁願いたい。ふとん1ふとん3


そこの所を解決して、どこか新しい居場所を探してからでないと仕事も退職できないんじゃないかと思っています。


私は正直夫には障害者雇用で働いていて欲しいと思っています。


お給料は安いですが毎月いただけるし

何しろ施設や作業所へ障害福祉サービスを使って行かなくても済みます。


夫の言うあっち側の人間ってどんな人間なんだろう?真顔


障害や病気で働けないなら、無職や福祉サービスで施設へ行くのも致し方ないと思いますが、

あっち側の人間になりたいから働かなければ良かったと言うのは

私には理解出来ないし、よく分かりません。驚き


夫にはがっかりしました。真顔