こんばんは!
@Ricoです。
今回がラスト2✨
まだまだ続いとりましたよ
坂東三十三観音
巡礼シリーズ✨✨✨の続きね^^
前回までが、29番札所まで。
〈シリーズ①〉
杉本寺→岩殿寺→安養院→長谷寺
→勝福寺→長谷寺
〈シリーズ②〉
正法寺→星谷寺→慈光寺
〈シリーズ③〉
慈光寺→安楽寺
〈シリーズ④〉
慈恩寺→浅草寺
〈シリーズ⑤〉
弘明寺→長谷寺(ちょうこくじ)→水澤寺
〈シリーズ⑥〉
満願寺→中禅寺
〈シリーズ⑦〉
大谷寺→西明寺→日輪寺
〈シリーズ⑧〉
佐竹寺→正福寺→楽法寺(雨引観音)
〈シリーズ⑨〉
〈シリーズ⑩〉
※テーマ「坂東三十三観音」はこちら⬇️
今回は、30番札所から
上総国へ入ります✨
まさかの結願手前までいきますよ🏃♀️💨
てなワケで。
三十番札所。
◾️高蔵寺
(聖観世音菩薩さま✨)
千葉県木更津市にあります。
→この地は、弟橘媛とのゆかりがありますね☝️
✅ きみさらず伝説
日本武尊が上総へ渡ろうとしたとき、にわかに海が荒れ、船が難破しそうになりました。尊の命を救おうと、妃の弟橘媛が自ら海中に身を投じ海神を慰め、怒濤はたちまちにしておさまりました。上陸した尊は太田山から海を見下ろし媛をしのび、何日もこの地を去らなかったことから、君不去(きみさらず)と呼ぶようになったといわれています。
御縁起
当山の興りは用明天皇の御代(585〜87)と言われ、霊験によって誕生した大織冠藤原鎌足が650年に構建したと伝えられています。(境内看板より)
※この霊験とは?
徳儀上人(とくぎしょうにん)が修行を積んでいたところ、老翁が現れ、阿薩婆(あさば)の古木を指さしました。そこに四寸ほどの観音像が安置されていたので、里民と共にお堂を建てて祀ったのがはじまりです。
また、大化の改新で知られる藤原鎌足(旧氏名中臣)の母、子与観(しよかん)は、ここ矢納郷の猪野長官(いのうちょうかん)の娘との伝説があります。子に恵まれなかった長官が、子授けの願いをこの寺の観音様にかけ、百日参拝したところ、一女を与えられたと伝えられています。娘は20歳を過ぎても良縁がなく再び観音さまにお祈りしたところ、結婚、めでたく男子を得たという。この子こそ、のちの藤原鎌足であるといわれます。
三十一番札所。
◾️笠森寺
(十一面観世音菩薩さま✨)
→敷地内が広すぎて、
まったく入り口から全容が掴めない😆
千葉県長生郡長南町にあり、
長南町は「みどりの風とやすらぎの里」と
呼ばれるらしい✨
途中には、
笠森熊野神社✨
さらに。
ドドーーーん、と張り出す御神木🌲
御神木をくぐらせていただきます🙏
(向こうに観音さまがいらっしゃいますね^^)
→近くには、芭蕉の句碑もあります✨
「日本でただひとつ『四方懸造り』として、明治41年(1908年)に『国宝』に、その後、昭和25年(1950年)『文化財保護法』の制定により、『国指定重要文化財』となっています。」岩の上に建てられた観音堂です。
上がらせていただきます🙏
回廊から見わたす展望は
雄大な房総の山なみを感じますね✨✨✨
御縁起
・さる昔、六十三代冷泉天皇の皇子「五條の宮」は、上総の国主に任ぜられ、はるばる草深い東国に下られた。
・宮に従って任についた蔵人の清光には、みめ形ひときわ麗しく、その上、箏・琴にはたぐいまれな技量の「少将の君」という一人の妹がいた。
・宮のつれづれを慰めるよすがは少将の君の箏・琴だけであった。そしていつしか少将の君は、宮のご寵愛をうけるようになった。
・「少将の君」は病に伏すも無事に姫君を授かり、それはひとえに、日頃信心する尾野上の観世音菩薩のご加護と賜った。
・この尾野上の観世音菩薩は、伝教大師が東国を行脚した折に刻んだものであった。
(ご霊験)
伝教大師がたまたま尾野上の山に至ると、山の頂に金色の光がキラキラ照りかがやくのをみる。その光のあとを訪ねてゆくとクスの大木がそびえており、その根かたのうつろに、小さな十一面観音像がはめ込まれていた。大師は、ただならぬ法の道にみちびかれ、この地に草庵を結び、このクスの木をもって、約二.二メートル(七尺八寸)の十一面観音像を刻み、庵のほとりに安置した。
(続きはこちら⬇️)
仁王門✨
四天門✨
風神雷神✨と
多聞天さま増長天さま✨
百体観音堂✨と閻魔堂✨
奥院堂✨
→十一面観世音菩薩さまがいらっしゃいます🙏
伝教大師(最澄)東国巡錫により草分けされ、
(→熊野権現のお告げにより、十一面観世音菩薩像を刻みお祀りする)
のちに、慈覚大師(円仁)により新たに起こされ、
(→クスノキで千手観音菩薩像を刻む)
さらに
坂上田村麻呂が大同2年(807年)に堂宇を建立した
と言われています。
お手綱にてご挨拶いたします🙏
ちなみに、
熊野権現のお告げというのは、こちら↓
伝教大師の夢に老翁が現れて「救世の浄刹を選び、一切衆生を救うための渡し場を開いて欲しい」と言って雲に乗って去ったそうな。
伝教大師はある時、道に迷ってキコリに一夜の宿を借りたが、実はそのキコリは熊野権現の化身だったのです。その地は泉が湧き流れて滝となり、まさに音羽の風景にそっくりの場所だったそうです。そこで大師は、十一面観音の彫刻を始めると、地中から観音像が現れました。その像は今も秘仏として残っているそうです。
山号の音羽山⛰️
どこかで聞いたよね❓と思ったら
京都清水寺✨の山号と同じやった‼️
→シリーズ④まで
鐘楼の鐘に、日本三所ってある。。。🤔
→調べてみたら、
ここでの三所ってのは「清水寺」を指し
いすみの清水寺は、京都、兵庫の清水寺とともに
三大清水寺のひとつ、とされるそう☝️
境内には、
たくさんの碑があり
長い歴史のあゆみを感じさせますね✨✨✨
→わが故郷、安房国で満願です✨
では。
いつも、ありがとう^^
@Rico
幸せは自分のために
世界が平和であるために