【坂東三十三観音⑪高蔵寺〜笠森寺〜清水寺。霊験のなかに神木あり。】 | 神さま仏さま「ねえさんぽ」と「あなたの世界をいきること」

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神様仏様、巡礼、登拝を経て「ねえさんぽ」で生まれた感動は、空海さんとの出会いにはじまり神仏さまとの結びへと繋がっていく旅の軌跡(主な巡礼地:奈良・京都・大阪・兵庫・四国)
あなたがいて、わたしがある
世界があって、わたしがある
そんなシンプルな道をともに生きたい

こんばんは!

 

 

 

@Ricoです。

 

 

今回がラスト2

まだまだ続いとりましたよニヤリ



坂東三十三観音

巡礼シリーズ✨✨✨の続きね^^

 



前回までが、29番札所まで。

 

〈シリーズ①〉

杉本寺→岩殿寺→安養院→長谷寺

→勝福寺→長谷寺

〈シリーズ②〉

正法寺→星谷寺→慈光寺

〈シリーズ③〉

慈光寺→安楽寺

〈シリーズ④〉

慈恩寺→浅草寺

〈シリーズ⑤〉

弘明寺→長谷寺(ちょうこくじ)→水澤寺

〈シリーズ⑥〉

満願寺→中禅寺

〈シリーズ⑦〉

大谷寺→西明寺→日輪寺

〈シリーズ⑧〉

佐竹寺→正福寺→楽法寺(雨引観音)

〈シリーズ⑨〉

筑波大御堂→清瀧寺

〈シリーズ⑩〉

圓福寺→龍正院→千葉寺



※テーマ「坂東三十三観音」はこちら⬇️





今回は、30番札所から

上総国へ入ります✨

まさかの結願手前までいきますよ🏃‍♀️💨




てなワケで。

 

 

三十番札所。

◾️高蔵寺

(聖観世音菩薩さま✨)

 



千葉県木更津市にあります。

→この地は、弟橘媛とのゆかりがありますね☝️


✅ きみさらず伝説

日本武尊が上総へ渡ろうとしたとき、にわかに海が荒れ、船が難破しそうになりました。尊の命を救おうと、妃の弟橘媛が自ら海中に身を投じ海神を慰め、怒濤はたちまちにしておさまりました。上陸した尊は太田山から海を見下ろし媛をしのび、何日もこの地を去らなかったことから、君不去(きみさらず)と呼ぶようになったといわれています。



このあたりのいろいろは、
「結びねえさんぽ」に記しています🙏

高蔵観音と称されます🙏



お隣には、熊野神社⛩️

→もちろん、参拝しましたよ✨





御縁起


当山の興りは用明天皇の御代(585〜87)と言われ、霊験によって誕生した大織冠藤原鎌足が650年に構建したと伝えられています。(境内看板より)

 


※この霊験とは?


徳儀上人(とくぎしょうにん)が修行を積んでいたところ、老翁が現れ、阿薩婆(あさば)の古木を指さしました。そこに四寸ほどの観音像が安置されていたので、里民と共にお堂を建てて祀ったのがはじまりです。


また、大化の改新で知られる藤原鎌足(旧氏名中臣)の母、子与観(しよかん)は、ここ矢納郷の猪野長官(いのうちょうかん)の娘との伝説があります。子に恵まれなかった長官が、子授けの願いをこの寺の観音様にかけ、百日参拝したところ、一女を与えられたと伝えられています。娘は20歳を過ぎても良縁がなく再び観音さまにお祈りしたところ、結婚、めでたく男子を得たという。この子こそ、のちの藤原鎌足であるといわれます。




御神木の阿娑婆(アサバ)✨

長寿夫婦杉✨



水洗延命観音さま


正面には、本堂




御本尊、聖観世音菩薩さまは、行基作で

脇侍の不動明王さまと毘沙門天さまは、

慈覚大師作、とのこと😲


瑞々しい


望叶のぞみかなえ観音さま


胎内くぐり 福は内

→もちろん、くぐるよねー❗️




さらに、

霊峰富士を臨める場所があったり

本堂床下では、観音浄土めぐりがあったり

見どころがたくさんですね^^





三十一番札所。

◾️笠森寺

(十一面観世音菩薩さま✨)



→敷地内が広すぎて、

 まったく入り口から全容が掴めない😆



千葉県長生郡長南町にあり、

長南町は「みどりの風とやすらぎの里」と

呼ばれるらしい✨





途中には、

笠森熊野神社




さらに。

ドドーーーん、と張り出す御神木🌲



御神木をくぐらせていただきます🙏

(向こうに観音さまがいらっしゃいますね^^)



→近くには、芭蕉の句碑もあります✨



仁王門


風神雷神閻魔さま奪衣婆



なかなかの坂道を上がってきていて
やっとこ見えてきたのが、、、

観音堂




笠森観音は、延暦3年(784)伝教大師最澄上人が楠の霊木で十一面観世音菩薩を刻み山上に安置し、開基されたと伝えられています。
観音堂は長元元年(1028)後一条天皇の勅願により建立されます。


「日本でただひとつ『四方懸造り』として、明治41年(1908年)に『国宝』に、その後、昭和25年(1950年)『文化財保護法』の制定により、『国指定重要文化財』となっています。」岩の上に建てられた観音堂です。





上がらせていただきます🙏




回廊から見わたす展望は

雄大な房総の山なみを感じますね✨✨✨







御縁起


さる昔、六十三代冷泉天皇の皇子「五條の宮」は、上総の国主に任ぜられ、はるばる草深い東国に下られた。

宮に従って任についた蔵人の清光には、みめ形ひときわ麗しく、その上、箏・琴にはたぐいまれな技量の「少将の君」という一人の妹がいた。

宮のつれづれを慰めるよすがは少将の君の箏・琴だけであった。そしていつしか少将の君は、宮のご寵愛をうけるようになった。

「少将の君」は病に伏すも無事に姫君を授かり、それはひとえに、日頃信心する尾野上の観世音菩薩のご加護と賜った。

・この尾野上の観世音菩薩は、伝教大師が東国を行脚した折に刻んだものであった。


(ご霊験)

伝教大師がたまたま尾野上の山に至ると、山の頂に金色の光がキラキラ照りかがやくのをみる。その光のあとを訪ねてゆくとクスの大木がそびえており、その根かたのうつろに、小さな十一面観音像がはめ込まれていた。大師は、ただならぬ法の道にみちびかれ、この地に草庵を結び、このクスの木をもって、約二.二メートル(七尺八寸)の十一面観音像を刻み、庵のほとりに安置した。



(続きはこちら⬇️)





ほかにも、参拝ポイントがたくさんあるけど
以下、写真を参照くださいね^^






三十二番札所。

◾️清水寺

(千手観世音菩薩さま✨)




千葉県いすみ市にあり、

清水観音と称されます。



こちらが、入り口⬇️


(全然、先は見えない。。。)

→手前に、竹杖が置かれてました💧




仁王門



四天門


風神雷神

多聞天さま増長天さま


百体観音堂閻魔堂



奥院堂

→十一面観世音菩薩さまがいらっしゃいます🙏





してして。
やっと見えてきたのが
本堂(観音堂)







伝教大師(最澄)東国巡錫により草分けされ、

(→熊野権現のお告げにより、十一面観世音菩薩像を刻みお祀りする)

のちに、慈覚大師(円仁)により新たに起こされ、

(→クスノキで千手観音菩薩像を刻む)


さらに

坂上田村麻呂が大同2年(807年)に堂宇を建立した

と言われています。







お手綱にてご挨拶いたします🙏




ちなみに、

熊野権現のお告げというのは、こちら↓


伝教大師の夢に老翁が現れて「救世の浄刹を選び、一切衆生を救うための渡し場を開いて欲しい」と言って雲に乗って去ったそうな。

伝教大師はある時、道に迷ってキコリに一夜の宿を借りたが、実はそのキコリは熊野権現の化身だったのです。その地は泉が湧き流れて滝となり、まさに音羽の風景にそっくりの場所だったそうです。そこで大師は、十一面観音の彫刻を始めると、地中から観音像が現れました。その像は今も秘仏として残っているそうです。




山号の音羽山⛰️

どこかで聞いたよね❓と思ったら


京都清水寺の山号と同じやった‼️



→シリーズ④まで



鐘楼の鐘に、日本三所ってある。。。🤔

→調べてみたら、

 ここでの三所ってのは「清水寺」を指し

 いすみの清水寺は、京都、兵庫の清水寺とともに

 三大清水寺のひとつ、とされるそう☝️




ちなみに、

兵庫の清水寺は、神仏霊場巡礼地なので

いつぞや三所コンプリートすると思いますよ^^





境内には、

たくさんの碑があり

長い歴史のあゆみを感じさせますね✨✨✨





てなワケで
 

次回がラスト‼️ですよ^^


→わが故郷、安房国で満願です✨






では。





いつも、ありがとう^^






@Rico 




幸せは自分のために

世界が平和であるために