こんばんは!
@Rico です。
高野山結縁灌頂シリーズ✨の続きね^^
いよいよ、高野山 奥之院✨
御廟橋から
お大師さまのいらっしゃる御廟へ。。。
橋を渡るときは、
いつもグッとくるものがあります🙏
橋のところでお大師さまと手を繋いで
一緒にいきますよ🤝✨
テクテク👣
テクテク👣
真っ直ぐに進んでいくと、
たくさんの木々に囲まれたなかに
石燈籠や石碑があり
その先の階段を少し上がらせていただくと
燈籠堂✨があります🙏
(上が御廟橋、下が燈籠堂)
以下、高野山宿坊協会さんHPよりお借り
燈籠堂は、
真然大徳(しんぜんだいとく)が初めて建立し、その後、藤原道長によって西暦1023年(治安3年)に現在に近い大きさの燈籠堂が建立されました。
堂内正面には、千年近く燃え続けていると言われる
二つの「消えずの火」があります。
一つは、祈親上人が献じた祈親灯(きしんとう)
もう一つが、白河上皇が献じた白河灯です。
この祈親灯の事を、祈親上人のすすめで貧しい生活の中、自らの髪を切り売ってまで工面したお金で、献灯したと伝わるお照(おてる)の話に因んで貧女の一灯(ひんにょのいっとう)と呼ぶ説もあります。それにあわせて白河灯の事を、長者の万灯と呼び、貧女の一灯、長者の万灯の伝説が残るお堂です。
※このお照ちゃんの話は
民話にもなっていて、全編はこちらを参照⬇️
ちなみに、この前半の部分
ブロ友さんのたくろうさんが分かりやすく
絵にしてくださってます🙏
で。
燈籠堂にて、手を合わせ
今回の結縁灌頂の感謝をお伝えします。
さらにぐるっと進んでいくと、、、
真裏に弘法大師御廟があります🙏
こちらで
今回のミッションを🙏🙏🙏
弘法大師御廟は、大師信仰の中心で聖陵です。
転軸、楊柳、摩尼の三山の千年杉に周囲を囲まれ、奥深く厳かな、たたずまいを見せています。
お大師様は、西暦835年(承和2年)3月21日寅の刻、御年62歳で、予てからの予言通り御入定なさいました。玉川の清流に沿った台地に、ご入定前には、既に納涼坊、総修堂が建立されており、お大師様自ら廟所と決められていたとも伝えられています。
御入定後、お弟子たちは、予定通りその場所に御廟を建立され、御入定後86年を経て、西暦921年(延喜21年)醍醐天皇より弘法大師の諡号(しごう)を賜りました。この御廟で祈れば、お大師様は必ず応えて下さると言われており、入定留身の聖地として今日なお廟前に祈りを捧げる参拝者は絶えません。
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してして。
今回、必ずうかがいたかった場所が
地下法場✨✨✨
ずっと閉鎖されていて
やっと再開されていたのです🙏
ありがたく、手を合わせることができました✨
まったく違う空気感のある場所です。。。
(しばらくいたなぁ、、、)
あの数珠📿にビックリ。。。
奥之院は、
どこよりもお大師さまを感じられる場所で
初めて御廟橋を渡り
燈籠堂の手前に来たときには
涙が止まらなかったのです。。。💧
無事に結縁灌頂のご報告も出来て
一安心✨✨✨
と思っていたら、
めっちゃ時間が経っててビックリ😲❗️
急いでいかなきゃーーー🏃♀️💨
金剛峯寺で
神仏霊場の御朱印を授からないとやからね☝️
ありがとうございます🙏
また、うかがいます‼️
テクテクテクテクテクテクテクテクテクテク👣
テクテクテクテクテクテクテクテクテクテク👣
記念の五並びの御朱印ですよ
さらに。
なんとか、ギリ間に合った‼️
ラストに霊宝館✨
無事に拝観を終えて、
やっぱり霊宝館はスゴいよね✨と
めっちゃ興奮気味になっていたら、、、
ラストの景色
美しい一瞬に包まれます🙏
いやぁ。。。
今回の高野山も
素晴らしい時間をいただくことができました✨
宿泊じゃなかったから
ゆっくりは出来なかったけど、
今回は結縁灌頂✨が目的やからね^^
→よって、ミッションコンプリート‼️
また、あらたな想いで
ひとつひとつ
積み重ねていきたいと思います🙏
ケーブルの駅の景色にさよならです^^
あっ、そうそう❗️
気になっていた高野槙も
記念に授かりましたよ☝️
てなワケで
2023高野山
結縁灌頂シリーズ✨
これにて👏
では。
いつも、ありがとう^^
@Rico
幸せは自分のために
世界が平和であるために