こんばんは!
@Rico です。
霊石を繋ぐ旅✨
さて、厄祓坂を上り、洲崎神社さん✨の
本殿へ。
拝殿にて一礼🙏
正面には、
見たことないくらい
デッカい鏡✨が正面にあり、
すべてがあらわになる感じで。。。
まさに、原点をみつめる。
そんな想いになります🙏
御祭神
主祭神
天比理乃咩命あめのひりのめのみこと
安房神社祭神天太玉命の后神で、
元の名を「洲ノ神(すさきのかみ)」と
いいます。
相殿神
天太玉命あめのふとだまのみこと
天富命あめのとみのみこと
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天比理乃咩命といえば、、、
最寄りで大きい神社⛩である
品川神社さん✨の御祭神ですね^^
実は、記事にしてないけど
ことある度に
ご挨拶させていただいている場所なのです🙏
再会に感謝やね✨✨✨
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して、
こちらが脇からちろっと拝見した
本殿✨
こちら本殿の拝せる場所で
お唱えいたします🙏🙏🙏
して、
お隣には
長宮✨
豊玉彦命
大山津見命
建速須佐之男命
大物主命
をお祀りしております🙏
さらに、その先には
金比羅神社⛩
テクテク👣
テクテク👣
拝殿の左手には、
稲荷社さん✨
お稲荷さん感は
あまり分からんのですよね💧
まわりの景色がスゴすぎて
呆気にとられます😲
で、
霊峰富士遥拝所✨
なんか、気になる。。。👀
早速うかがってみますよ🏃♀️
テクテク👣
テクテク👣
こーんな入口からはいっていきますよ^^
しばらく進んだ先には
富士見鳥居⛩
手前には
幸せの鐘🔔
もちろん、鳴らしましたぞ😎
さらには
鳥居からの景色です✨
風がひゅーーー✨
めっちゃ気持ちいいのや^^
(して、誰もいらっしゃらない)
富士山🗻は見えなかったけど
昔むかしから霊峰富士への想いを胸に抱いていた
その祈りを、手を合わせて想いを繋ぎます🙏
さて、
戻ります。
と、そのときに。。。
おや😲
源頼朝さん❓
こちらね⬇️
洲崎地区には、
「澪(みお)」と「笠掛(かさげ)」という集落が
あり、これは当社を参拝された源頼朝公が
松に笠を掛けて「あれ見様 笠掛けさせて」と
言ったことにはじまるのですね。
さらに
頼朝公といえば
こちら洲崎神社さんが
一ノ宮とされることになった由来に
関わっています。
以前、参拝した
安房神社さん⛩
そして
こちら洲崎神社さん⛩も
安房國一ノ宮✨
→つまりは、一ノ宮が二つあるのです🙏
2つの一宮が存在することになった経緯は、
源頼朝公のドラマが関わっています。
天下統一を果たし鎌倉幕府を開いた
源頼朝ですが、実は1180年伊豆で挙兵した際、
石橋山の合戦で敗れ海路で安房の地へ
避難していたのです。
家臣数名に支えられて
辛くも逃げ延びた安房の地で、
頼朝は「もう一度チャンスを!」と
再挙を期して参拝をしました。
この時頼朝公が向かったのが、この洲崎神社です。
その後、
千葉常胤(ちばつねたね)などの協力を得て
平家討伐を成功させ、見事願いを叶えることに
なるのですが、そのお礼に洲崎神社に
「神田」の土地を奉っています。
つまり洲崎神社は、頼朝からすれば
天下統一の願いを聞き入れてくれた神様
となるわけですね✨✨✨
➡️神田❓❓❓
と、Wikipediaで調べてみると
分社のところに
江戸への分霊 室町時代には江戸城を築いた
太田道灌が、江戸の鎮守として分霊を勧請した。
さらに『永享記』には
「神田の牛頭天王、洲崎大明神は
安房洲崎明神と一体」とあり、ここから
神田明神もしくはその摂社・八雲神社が
道灌の勧請した洲崎明神の後裔という説が
あるが、現在はどちらにも天比理刀咩命は
祀られていない。
むむむ🤔
なんやら、神田明神さんも
繋がってきたやんかー‼️‼️‼️
(最近はこちらで↓お参りしましたぞ)
と霊石🪨だけでなく
さまざまな結びが繋がってきて、
やはり巡っていなければ
気づかないことがある、と思うのよね🙏
が、しかし
今回の命題❗️
御神石🪨の場所に
うかがわなくちゃ✨と
厄祓坂を下っていき、
社務所で御朱印を授かりまして
いよいよ、
御神石🪨の場所へ
向かいますよーーー🏃♀️
では。
いつも、ありがとう^^
@Rico
幸せは自分のために
世界が平和であるために