こんばんは!
@Ricoです。
本日はお盆のため
バビューーーン🏃♀️💨
と帰省しまして、、、
神棚と仏壇のまわりを
ちろっとだけお掃除しつつ、
お酒🍶をお供えして
明日の送り火の準備をします。
で、
以前の記事で、
善通寺さんに国宝の錫杖✨
があるって話をしたのやけど
もちろん、
善通寺さんにはうかがったことがなく
弘法大師さま御生誕地✨
という情報でしか
なかったのやけど。。。
なんと‼️
善通寺さんの御朱印と
御姿を発見したのですよ👀
(かなり古いので、ご容赦あれ❗️)
御朱印⬇️
御姿⬇️
(大分前に、親がうかがっていたらしい)
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てなワケで
あらためて、
調べてみましたぞ
〈四国第七十五番 善通寺さん〉
善通寺の由来
五岳山 善通寺の創建は、
『多度郡屏風浦善通寺之記』(江戸時代中期成立)
によると、唐より帰朝されたお大師さまが、
御父の寄進した四町四方の地に、
師である恵果和尚の住した長安・青龍寺を模して
建立したお寺で、大同2年(807)臘月(陰暦12月)
朔日に斧始めを行い、弘仁4年(813)6月15日に
落慶し、父の諱「善通(よしみち)」をとって
「善通寺」と号したと記されています。
鎌倉時代に佐伯家の邸宅跡に
「誕生院」が建立され、江戸時代までは、
善通寺と誕生院のそれぞれに住職をおく
別々のお寺でしたが、明治時代に至り
善通寺として一つのお寺となりました。
現在は真言宗善通寺派の総本山であり、
また四国八十八ヶ所霊場の75番札所でもあります。
京都の東寺、
和歌山の高野山とならぶ
弘法大師三大霊跡のひとつ
現在の善通寺は
「屏風浦五岳山誕生院善通寺」と号し、
山号の「五岳山」は、寺の西にそびえる
香色山・筆山・我拝師山・中山・火上山の五岳に
由来し、その山々があたかも屏風のように
連なることから、当地はかつて「屏風浦」とも
称されました。そして、「誕生院」の院号は、
お大師さま御誕生の地であることを示しています。
御誕生所である善通寺は、
京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ
弘法大師三大霊跡のひとつとして、
古くから篤い信仰をあつめてまいりました。
総面積約45,000平方メートルに及ぶ広大な境内は、
「伽藍」と称される東院、
「誕生院」と称される西院の東西二院に
分かれています。
金堂、五重塔などが建ち並ぶ「伽藍」は、
創建時以来の寺域であり、御影堂を中心とする
「誕生院」は、お大師さまが御誕生された
佐伯家の邸宅跡にあたり、ともに
弘法大師御誕生所としての由縁を今に伝えています。
(⬇️ めっちゃ気になる場所がたくさん‼️)
文化財✨
御影堂みえどう
国登録文化財
西院「誕生院」
御影堂のある誕生院は、弘法大師空海が生まれた
佐伯家の邸宅跡に建てられた寺院です。
江戸時代まで独立した寺院として善通寺全体を監督、
管理していました。その中心となるのが御影堂です。
現在の建物は天保2年(1831)の建立で、
昭和12年(1937)に大規模な改修を行っています。
「御影」とは、一般的には祖師そしてそのお姿を
いいます。真言宗では弘法大師空海のお姿を指し、
御影堂奥殿の厨子内には秘仏・瞬目大師(めひきだいし)像がおまつりされています。
寺伝では、空海が唐にわたる際、寂しがり
心配する母上のために、池に映る我が身を写した
画像だと伝えられています。そしてその厨子前には
木造の弘法大師像と四天王像を安置し、
幼少時のお大師さまの姿をあらわした
稚児大師像やご両親の佐伯善通、玉寄御前の像も
あわせて奉安されています。
この奥殿は玉寄御前のお部屋があった場所と
伝えられており、まさにここが大師信仰の聖地なのです。
(⬇️ HPよりお借り)
戒壇めぐり
御影堂の地下には約100メートルの通路をめぐる
「戒壇めぐり」があります。
真っ暗な中を進み自己を見つめなおす
精神修養の道場です。
中心は、弘法大師の母・玉寄御前のお部屋が
あったとされる場所です。その中央には
大日如来像を安置し、大師とのご縁を
結ぶことができます。
→こちらの「戒壇めぐり」
めっちゃ気になりますよー✨
詳しくはこちらを⬇️
てなワケで、
善通寺さんの御朱印に
かなりビックリして、
調べてみたら
さらにその魅力に
うかがってみたい気持ちが高まってしまった💧
四国お遍路は無理かもやけど、
善通寺さんだけでも
うかがったら一日たっぷりで
満喫できちゃいますわーーー^^
なんやら、楽しみになってきたよ
では。
いつも、ありがとう^^
@Rico
幸せは自分のために
世界が平和であるために