一昨年の暮れ、高齢の義父がまた体調を崩し、義兄より「今回は喪服を用意しておけ」という連絡がきた。
私は自分のセミナーなど予定を全てキャンセルして待機した。
いろいろ準備していたから大変残念だったけど、そんなこと言ってられる状態ではなく、参加者に連絡した。
さて、義父は運良く回復し、家族全員でお見舞いに行った時も嬉しそうに力強く喋っていた。
しかし、酸素に繋がれて自宅でやっと生活することになった。究極の老老介護。私は女性として義母が大変だなあとつくづく思った。
口だけはしっかりして動けない昔気質の夫の介護を90近い妻が支える。その母もだいぶ前から耳が遠く、年齢なりの不調が多々あった。
義兄が近所に住みホームを経営していたので何かあれば行く場所があるのは、遠い東京で住む私たちが安心できる幸運。
昨年末より、しょっちゅう義父は体調が危なくなり医者に来てもらう回数もふえ、夜中に呼び出される兄。さらに、義母は帯状疱疹で入院、退院したものの、家事などできるわけもなくほぼ寝ている生活になった。
詳しくはわからないが、それは顔に出たらしく目もあまり見えなくなっているらしい。電話では、「帯状疱疹って痛いのね」とまだ苦しんでいた。
私も数年前、次々と病気に悩まされたとき帯状疱疹にもなった。帯状ではなく、背中に小さな発疹が出ただけで乳房に爆弾が落ちるような痛みに見舞われ、1か月薬漬けになった。夜も眠れず、薬が切れると痛みで随分泣いた。
義母は疲労とストレスに違いない。
昨年明けてから、コロナで私たちも訪問できず、親しい義母の姉も入院してあえなくなり、コロナ禍、夫婦二人で人に会うことなく楽しみがあるとは到底思えない。
仕事の合間に 三食ご飯を食べさせ洗濯、犬の世話などしていた義兄は、もう自分が無理と判断。
部屋が空き次第自身が経営するホームに入れると決めていた。
ようやく部屋が空いた。
コロナが収束するより先に、義父がどうかなる確率が高いと判断。
「ホームに入れたらもう面会はできないから、来い」と夫に義兄からお正月連絡があった。今までは、実家には絶対来るなと言われていた。もちろん私たちも行く気はなかった。
ぎっくり腰がようやくなんとかなりたての夫。ホームへの引越しの手伝いは期待できないが、会うことを目的に、緊急事態宣言下に出かけることにした。
私はPCR検査を受けることを勧めた。
印籠がわりに持たせたかったからだ。
しかし、このPCR検査、意外に手こずったのだった。