亡くなってから15年になりました。
なのに今でも
私は本当に母のことが大嫌いで
本当に大好きだったんだって
思い知らされることばかりです。
私の母は心屋で言う『前者』
わたしは『後者』
これ、もっと早く知ってたら
母と私は傷つけ合わずに済んだのかな?
なんて思うことがあります。
『前者・後者』が分からない人は
こちらのリンクを読んでね。
わけの分からない「あの人」のことが分かります。【永久保存版】大人になりたくてなれなかった人、大人になりたくてなれてしまった人
まぁ、そしたら私は
カウンセラーになっていなかったよね(笑)
ってか、
あの頃の私に言っても
理解できなかったと思う
でも、コレ分かってたら
母は苦しまずに済んだのかな…とも思う。
お互い分かり合えなくて
母には
「あんたは私が憎くて憎くてしょうがないんでしょ!!」って怒鳴られたことがあります。
わたしは精一杯母を笑顔にしたくて
頑張ってるのに
まったく認めてもらえなくて
「私のこと憎くてしょうがないのはあなたでしょ!」って思った。
今なら私と母が
まったく違う生き物だったんだって分かる。
部活の仲間と海に行っただけで
「あんたみないなアバズレみたことない!」
って言われたこと
好きな男の子が出来たとき
「あんたみたいな女、
好きになる人なんかいるわけない!」
って言われたこと…
めっちゃキツかったなぁ。
あんな『毒親』って思ってたけど、
戦争中に子ども時代を過ごした母は
私が羨ましかったんだよね(^◇^;)
あの当時の母は私と同じくらいの年齢。
子どもにとっては完璧な人って思うけど
母も未熟だったんだよね。
そして、
感情的に怒鳴る自分を責めて
葛藤してたのかも…なんて思います。
そんな母が亡くなる1年前
旦那が難病で入院したんだけど、
母に絶望していた私は
手伝いにくると言う母に
「来るな!」って言ったの。
それでも母は無理矢理押しかけてきて
私は福岡から遥々きた母を
玄関先で追い返そうとした。
そのくらい
母に期待を裏切られることに
疲れてたの。
でもね、
3カ月間一緒にいて
子どものことも私のことも支えてくれました。
初めて丸ごと私を受け入れてくれた。
きっと、そのとき
母は全部わかってたんだと思うんだ。
それが母から私への
最後のプレゼントになるとは思わなかったけど。
嫌な思い出はたくさんあるけど、
あれでも愛してくれていたんだ…
って思えるのは
あの3カ月間があったからです。
それが亡くなるちょうど一年前。
元気な母状態での
最後の時間を私にくれたことは
本当に私にとって宝物✨
色んな意味で
なんだかんだ言っても
私の中の大きな存在なんだよね。
悔しいけど。
今日は何もないけど
母のことを思い出して
写真に手を合わせようと思います。
くわのあきこ
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