2年目の3.11
3.11から2年です。
私は一昨日、福島県郡山市へ伺いました。
東日本大震災は突然、不条理に多くの方の命を家族を奪いました。
2年前のその瞬間、全ての日本人が、その苦痛を共有しました。
また、自分の問題として生命とは、生きるということは、と自らに問いました。
時間がたっても、被災地の方は苦痛が失せるどころか、より深刻化しているよう
に感じます。家族を失った悲しみも深まっているに違いありません。
しかし、当事者ではない私達、第3者は時間がたつと、うずきが薄れがちです。
「風化」と云われる所以かと思います。しかし、いま、災害で見えてきた
障害者、高齢者、男女共同参画などさまざまな問題を「風化」させてはならない、
被災地と一緒にこれからも歩み続けなければならない、むしろこれからが
正念場だと思っています。、
堂本暁子
私は一昨日、福島県郡山市へ伺いました。
東日本大震災は突然、不条理に多くの方の命を家族を奪いました。
2年前のその瞬間、全ての日本人が、その苦痛を共有しました。
また、自分の問題として生命とは、生きるということは、と自らに問いました。
時間がたっても、被災地の方は苦痛が失せるどころか、より深刻化しているよう
に感じます。家族を失った悲しみも深まっているに違いありません。
しかし、当事者ではない私達、第3者は時間がたつと、うずきが薄れがちです。
「風化」と云われる所以かと思います。しかし、いま、災害で見えてきた
障害者、高齢者、男女共同参画などさまざまな問題を「風化」させてはならない、
被災地と一緒にこれからも歩み続けなければならない、むしろこれからが
正念場だと思っています。、
堂本暁子