「おいしい水(原題:Água de beber)」は、アントニオ・カルロス・ジョビンとヴィニシウス・ジ・モライスの黄金コンビが作ったボサノヴァの名曲の1つです。


”ボサノヴァ”という言葉にピンと来ない人でも、この曲を知らない日本人はまずいないのでは?というほど有名な曲ですが、さて、この「おいしい水」。

どんな事を歌っている曲だと思いますか?

まずは、歌詞を見てみましょう(原曲は3番まであります)。

 

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【Água de beber】
música;Antonio Carlos Jobim
Letra;Vinícius de Moraes

 

Eu quis amar mas tive medo
E quis salvar meu coração
Mas o amor sabe um segredo
O medo pode matar o seu coração

Água de beber
Água de beber, camará
Água de beber
Água de beber, camará

 

Eu nunca fiz coisa tão certa
Entrei pra escola do perdão
A minha casa vive abertra
Abre todas as portas do coração

Água de beber
Água de beber, camará
Água de beber
Água de beber, camará

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【おいしい水】
作曲;アントニオ・カルロス・ジョビン
作詞;ヴィニシウス・ジ・モライス
訳;柳沢暁子

 

愛したかったけれど 怖かった
私の心を守りたかった
でも、この愛は秘密を知っている
不安は人の心を苦しめる

おいしい水
おいしい水、カマラ!

 

私はそんなには正しくなかったけれど
自分を許した
私の家はいつも開いている
心のドアは開いている

おいしい水
おいしい水、カマラ!

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いかがでしょうニコニコ
歌詞を読んでも、「おいしい水」が何を意味するか...??
実は、ちょっとわかりにくいですよね。

 

Água de beber は、直訳で「飲み水」を意味します。
(Água=水、de=前置詞(〜の)beber=飲む)


「おいしい水」とは最初に訳をした方の名訳で、これが「飲料水」じゃ、日本でこんなに有名になっていなかったかもしれません。
また、camará は掛け声のようなもの、宗教的な呪文のようなもの、と諸説ありまして
ここでは特に意味はないと考えて良いと思います。


「水」が表現している事、それがこの曲の解釈のポイントです。


簡潔に言うと、
「生きていくためには水が必要。それと同じくらい、私には愛が必要」

という歌なんです。

 

言われてみれば、なるほど〜!という感じですよね。
ブラジル人は皆、即答でこう説明してくれます。


しかしながら日本人はここまであからさまに「愛!愛!」とは言わないからか、
その意とするところを掴みかねる方が多いようです。


レッスンでは、受講生の方々にも自分なりの曲の解釈を発表してもらうのですが、
この曲の解釈ほど、多彩なバージョンが出てくるケースはありません。

「お酒(おいしい水)に溺れた人の歌」
「愛は麻薬のようだ、という歌」
「何度も失恋したけど、その失敗を水に流そうという歌」
→これなんかは実に日本人的な発想ですよね

等々...本当に色々あります。


曲の解釈は人によって色々あって良いと思いますし、間違っているということはないのだけれど、
レッスンでは「おおむねブラジルではこう解釈されている」というものを説明しています。

 

しかし意味を知ると、多くの方は
「そうなんだ、共感できる〜!」びっくり
とは行かず、困惑顔をされることが少なくありません。


残念ながら「曲は好きだけれど、歌詞の意味を表現するのは難しい、歌いにくいな〜」
と思われるようですタラー

 

確かに「愛がなければ生きていけない」というのは、なんだか愛に飢えているようで
男好き(もしくは女好き)の、恋愛体質の人の歌...というイメージがありますよね。


でも、歌手というのは「私はこの人と考え方が違うから、この曲は歌えません」という訳にはいきませんので、
そういう方には「自分とは違う自分になれる”のが魅力なんですよ〜」とお伝えして、歌ってもらいます。

 


こんな私も長い間、この曲を「恋多き女の歌」というイメージで歌っていました。
ブラジル人は情熱的だからな〜とか、ヴィニシウスは9回も結婚した人だから、さすがは書く世界が違う!などと思ったりして、納得していたのです。


ところが出産して新生児の育児をしている時に、新たな発見がありました。


赤ちゃんというのは、ご承知の通り、
大泣きお腹が空いた、オムツが気持ち悪い、眠い、寒い、暑い、抱っこして欲しい...
すべての感情を泣いて表現しますよね。
そして、ミルクをあげても、オムツを替えても、温度調節をしても、何をしても泣き止まない時でも、
抱っこするとピタッと泣きやむという事が多々あります。

 

授乳の時間と同じくらい、抱っこや語りかけの時間が必要なんだな...
これはまさに「Água de beber」の世界だな〜!!

 

と、実感したのでした。


その後、それを証明するショッキングな実験があったことを知りました。
13世紀のローマ皇帝;フレードリッヒ2世が、乳児を使っての人体実験を行ったことがあるのです。


そもそもは「人は自然には何語で話すのか」を確かめるための試みだったそうですが
国内の乳児を集め、乳母に「あやさない、抱っこしない、話しかけない、笑いかけない」という条件で
授乳と排泄の世話だけをさせたところ、なんと全員が死んでしまった、というものです。
(一説には、抱っこや語りかけなどのスキンシップで分泌されるはずの成長ホルモンが分泌されず、
成長ホルモン分泌障害で死亡したと考えられています)

 

 

語りかけやスキンシップがまったく無い状態では、授乳と排泄の世話だけをしても、人は生きていけないのですね。
それは「愛がなければ生きていけない」ということ。


もちろん、水(ミルク)がなくても、生きていけないけれど、
水と同じくらい愛が必要なのは、何も特別な恋愛好きな人に限ったことではなくて、赤ちゃんも大人も、みんな同じ。
人間とは、そういうものだったのです。


それから私は、この曲を歌う時の心持ちが変わりました。
さすがはヴィニシウス、詩の世界が深く、広く、核心をついてるな〜と、ますます尊敬。
そしてジョビンのメロディは美しく、しかも歌い易く、覚え易い。
これらが世界的大ヒットの由縁なのでしょう。

 

アストラッド・ジルベルトのヴァージョンがお馴染みですね。

 

 

 

こちらがジョビンの「Água de beber」。

イントロに「Estrada do sol」をさりげなく入れているところも作曲者ならでは...です。