こんにちは ニコニコ

小5で出会った親友と歌手になりたかった明子です。

 

当時、じゅんとネネの『愛するってこわい』が大ヒットして、

二人の雰囲気が自分たちと重なって見えたことが、夢を描かせた。

 

同じクラスで、共に合唱団員で、自然に仲良くなった大親友。

だからこそ、あの時、どうしても故郷を離れたくはなかった。

 

過去を振り返る時、(あの時)といちばん思い出すのが合唱団。

人生で最も努力し輝いていた時代を、みんなと生きていたかった。

 

 

 

なんてことを書くと、「どこへ行ったって続けたらいいじゃん」

そんな反発の声が聞こえそうだけど、転校先は合唱団はあれど、

全く熱心ではなく、教えも唄声も、レベル違い、成長は望めない。

 

中学校には合唱団すらなくて、お願いして作ってもらったものの、

ちゃんとした指導者がいないので、ただ歌を唄う会みたいな感じ。

レッスンしてもらえるところが見つかっても、貧乏人には通えない。

 

愛しい故郷へは500km以上、子供が簡単に通える距離ではなかった。

 

 

様々な事情が重なって、歌手への夢を断念、その数十年後、

定年間近となった父母が、カラオケ喫茶で唄いまくるようになり、

負けず嫌いの母はレッスンに通い、二人して大会に出るようになった。

 

と、ここまで書くと、よくあることで、(ふつうじゃん)って話だけど、

一緒に暮らし、歌手への夢を描いてた頃は、鼻歌さえ聞いたことがなくて、

歌はもっぱら聞くものそんな感じだったから、歌が好きだとは知らなかった。

 

病的にハマってしまい、カラオケ大会ではいつも 優勝 を目指していた。

 

私は歌が好きなだけで、目立ちたがり屋ではなく引っ込み思案で緊張しい。

大勢の人と会うことも唄うことも、競い合うことも苦手、ただし合唱は別。

たまに誘われて見に行くことはあっても、大会に出るだなんてありえない。

 

ある大会、結果的には大丈夫だったけど、出番前に顔面蒼白になった父。

もともと声量がなくて程々の歌唱力なのに、自信満々で堂々としてる母。

 

みんなで楽しむのがカラオケだから、ヘタな人がいてもかまわないのに、

友人と競い合う母を見ていられなくて、応援に行くのもやめてしまった。

 

父も母も、私も、歌が好きという共通点はあっても、タイプは三者三様、

好みもポップスと演歌だから、家族全員で一緒に行ったのは数えるほど。

 

そんな中でもいちばん印象深いのが、父の闘病中に行った時のこと。

思うように声が出せない父は、「情けないのぉ」と口にし、

父母のために演歌を唄った私には、「うまい!」と言ってくれた父。

 

歌手になることを応援してくれたのは、自分の夢を叶えて欲しかったから?

 

そんな風にも見えた晩年の両親のカラオケ好き。

二人とも幼い頃から苦労してきたから、楽しみが持てたことがうれしかった。

 

カラオケ大会の模様は、ビデオテープ(5,000円)に残されていたのに、

母が同居してた男に持ち去られ、映像や、音声は聞けなくなってしまった。

 

そんな苦い思いもあって、写真ではなく、動画を自分で残そうとしてる私。

実を言うと、笑い転げてる姿は既にチャンネルに残していて、今回のが最後。

 

似たような苦労をしてる方々に、「私もだよ」と寄り添いたい、そんな気持ち。

あんなこともこんなこともあったけど、笑えてるし、生きてるし、変われると。

 

人生を変えたくて、このままでいたくなくて、(なぜそうか)を話しています。