こんにちは ニコニコ

どうしてもウサギを使いたい明子です。

 

というのも、ウサギはBTS(ジョングク)のイメージ。

彼には癒やしをもらってるので、絶対に欠かせない存在なんです。

 

 

ブログを読んでもらったらわかるように、私は本音を躊躇することが多くて、

日記や手帳には書いても、大きな衝突を避けて、言われっぱなしになるタイプ。

だからこそ、両親が亡くなった後、夫たちと別れた後、悔しい思いが消えなくて、

あれやこれや、もし言えてたら、何かが変わったかなと、今も思ってしまうんです。

 

気になるといえば、変えたばかりのジャンルを、またしても変えたい疑惑(?)

良くない記憶ばかりを綴るのもしんどいし、ブログではもっと思ってること、

感じてること、考えてることを書きたいという衝動があって、そうなると違う?

 

と、そういえば昔、恩師にノートのつけ方を「すごくていねい」と褒められて、

その後、あらすじでしかなかった感想文がなぜか書けるようになって、

数年後、中学校の代表として、あるホールで貼り出されるという奇跡まで起こった。

 

書くことが、日課であり、救いであり、友情を育むためのものだった学生時代の私。

だから、だからこそ、どんな感情だったとしても、父は勝手に捨てちゃダメなんだよ。

 

日記(ブログ)について考えると、どうしてもそこに繋がっちゃうんだけど、

書いたものすべてを捨てた父は、間違ってたと、今でも思ってしまうんだよね。

 

もちろん、17才の時に21才の恋人と、家を出た私にも罪はある。(詳細は後日)

だけど、既婚者だと言わなかった最初の夫はもっと卑怯で罪深いはずだし、

もっと言うなら、それ以上の罪を父がかつて犯した時は、私は幼く被害者だった。

 

「人は悩むべきだ」「考えて行動するべきだ」と父には何度も言われた。

その時は(言われても仕方ない)とか(そうじゃないのにな)と思いつつも、

親だから黙って聞くしかなかったけど、小出しに母から聞かされた父の蛮行。

 

それでも、大きな声で言い返したりしなかったのは、

父のプライドがズタズタになり、酷いことになるのを恐れたからで、

父の命を守ったってことでもあったし、子供ながらにケンカは嫌だった。

(母から『父には逃避癖』があるとも、『危ない人』とも聞かされていた)

 

収入が少なすぎて、金銭的に迷惑をかけてしまった申し訳なさもあったし、

返すべき借金を6割返したところで、父がガンになり、母まで事故に遭った。

 

そんな状況で、今さら過去に遡ってまで本音で語り合う意味はない。

いつものように自分自身に問いながら、一人で答えを出し、それに従った。

 

更年期に突入した2000年、他にもあらゆることが起こってしまったから、

今みたいに深く考える余裕はなくて、その上、夫がマンションを買いたいと、

突拍子もない事まで言い出すものだから、更に、深い闇に入ってしまった。

 

ホントにね、業が深いっていうか、神も仏もないっていうか、

息子には「そういう星の下に生まれたんだ」と言われ、今も終わりなき道の途中。

 

2001年に家を買い、2002年に父が亡くなり、2010年に母が亡くなり、

大きな山を2つ乗り越えられたと安堵した矢先、2013年には夫の秘密が発覚。

 

そこから、人生の4幕目に突入、今は6幕目の途中で、諦めず、生きてる感じ。

そして、絶望感の中でたどり着いたのが、『書いて、話して、心の断捨離♪』

最後にあえて♪を付けたのは、全て終わった話で、終わり良ければとしたいから。

 

人生の結末さえ良ければ、全ての選択が正しかったってことになるからね。

ドロドロなドラマほどハッピーエンドが多いから、幸不幸のバランス合わせ(^^)

 

こんな風に、何から書き始めてもたどり着くのは今の心境で、

話したいのは、これまでの経緯と、私や関わってきた人たちの(なぜそうか?)

 

そう思うと、私が書きたいのは、還暦離婚や親子不和だけではないと…。

何かに特定せず自由に書くためには、もしかしたらエッセイかなと、未だ自問中です。

 

そんな中、私が「あの~」とか、「まぁ」とか、他にもいろいろ、

30秒に10回も口癖を連発してしまい、カット&編集に9時間もかかった動画。

21時30分に公開されるので、裏方のKさんへのエールも込めて、視聴して下さいネ。