こんにちは ニコニコ

母のサンドバッグだったと気付いた明子です。

 

  「サンドバック」の比喩的な意味。

    問題があった場合などに一方的に怒りのはけ口にされる人。

 

まだ母についての動画を出してないのですが、母は人として興味深いタイプです。

 

ある意味、人間らしいというか、感情むき出しの人で、ガマンができない人。

特に、絶対的な身内な私には、父や友人知人、隣人の悪口がひどくて、

私が秘密を守ると知っているから、胸の中のドロドロを全て吐き出し、見せる人。

 

亡くなるまで数十年、見たくもない腹の中を見たことで、

私は母を、父も、周りの人たちのことも好きになれなかった。

 

そして、ついに先日、亡くなって14年も経って、

(サンドバッグだったんだ…)と気付き、なんとも複雑な気持ちに。

 

実際、「嫌なことばかり聞きたくない」と母に言うと、電話口で、

「お母さんはぜんぶ言うの!話せなくてノイローゼになってもいいのか!」

と、ものすごい剣幕でまくし立てて、何としてでも、言いたいことは言う。

 

昔から、母という人は、誰が相手でも物事を白黒つけたがる人でした。

それが、母が正しい場合はいいんだけど、そうじゃなくてもだから、

中立的な立場で「それは違うよ」と言ったものなら、「そうじゃない!」と、

全てに於いて正しいのは自分、そう言い張れる、いい意味では自信家でした。

 

幼い頃から、母の横暴な態度には辟易してきたし、

(こうはなりたくない)という思いが、私の生き方や考え方の基本。

 

ただ、母の行動力や決断力には、惹かれるところもあり、

不甲斐ない父と私は、陰に隠れて守ってもらったというところもあったので、

強すぎる女になったのは、経験や環境によるものという悲しい側面もあって、

たまに見せるいじらしい姿であったり、女性としての可愛い一面を見ると、

100%否定することは出来ず、だからこそ、どんなに大変でも放っておけない。

 

とはいえ、父への依存をそのまま私に向けるのは、間違っていたよね、お母ちゃん。

 

そんな母、69才で未亡人になったのに、女を捨てることが出来ず、

数ヶ月で3度の恋に落ちた挙げ句に、とんでもない男と出会い、同棲を始めた。

 

その男が、とにかく酷くて、ただでさえ怒りの感情が強い人だったのが、

100%の思いを、ある時は電話で、ある時は買い物中に、叫びまくる。

 

男といる時は女で、近隣の人の前では笑顔で、仲が良いアピールをしながら、

私の前では、不信感だったり、不実な言動を告げ口し、証拠写真まで見せつける。

 

母は、父に浮気をされた過去があるから、男女関係には厳しく、

知り合いの旦那の浮気を暴き、私の最初の夫の車を尾行したのも、勝手な独断。

 

とにかく、気象が激しく手が付けられない、それが母という人。

独立から亡くなる前まで悩まされ続けたので、話題には事欠かないものの、

母の怒りは、淋しさの裏返しだったりもするので、そこはちゃんと理解してます。

 

そして、母は他人への妬みも凄まじくて、自分が一番でありたい人でした。

いちばんキレイで、いちばん幸せ(そう見えればいい)だから余裕があって、

いちばん歌が上手で、常にいちばんを目指し、いちばんだと信じ込んでいました。

 

そんな母が、父が入院した4日後に事故に遭って骨折、

一時は寝たきりになり、5日後の手術中に狭心症の発作、

そして検査や手術を拒み転院、数ヶ月後に松葉杖での歩行。

 

「人にバカにされる」が口癖だった人が、一時は車椅子生活。

「それでもいい」と言った父は、自分自身が余命3ヶ月から半年。

 

いろんなことがありすぎて頭の中が飽和状態だから、うまく喋れない。

あれもこれも言いたいから、脱線に次ぐ脱線で、ケイさんも呆れて爆笑。

内容は重苦しくても、終わったことだから、現場は和気あいあいなんです。

 

 

今後、コメントや質問をいただけたら、返信の動画を作ったり、

経験談としてお答えできる場合は、人生相談のようなものを受け付けたり、

いろんな形で交流もしていきたいなと、ひとりで妄想を膨らませています。

 

動画はまだ3本ですが、おヒマな時間に見ていただけるとうれしいです。