こんにちは ニコニコ

動画撮影の後、奇跡的に朝までグッスリ眠れた明子です。

 

 

 

実は昨日の夕飯後、突然ケイさんが現れ、いきなり撮影が始まったのですが、

原稿らしきものは用意してあったものの、そのまま読むわけにもいかず、

わかりやすくしようと経緯など語ると、脱線するやら、主軸からも外れるやら。

 

「こう言って下さい」と言われても、自分の言葉じゃないと覚えられずで、

とにかく撮影が長引いてしまい、内容が内容なので、心もくたびれちゃうし、

しゃべるってことでやたらと汗が出るしで、最終的には呆れられお互いに大爆笑。

 

その後、「慣れるでしょうけど、今後はどうしましょうか」みたいな話にもなり、

もしかしたら、原稿をそのまま読むという形も、仕方ないかな、なんて(ヽ´ω`)

 

そんなスッタモンダな夜だったから、(興奮して寝れないどうな)と、

内心、覚悟してたのに、耳鳴りこそ酷かったものの、予想に反してグッスリ(^^)

 

どうやら、溜め込んだ思いを吐き出すことは、古傷から膿を出すようなもので、

自分の想像よりも傷跡が消えていくような感覚さえあって、心がスッと軽くなる。

 

なんていうか、しゃべってる時には肩がギュッとなり、さすがにしんどいのに、

話した事柄に対しては、(数十年越しにやっと言えた~)という感覚があって、

(どうして言いたいことも言わずにいたんだろう)という後悔ともに安堵感も。

 

もちろん、そのつもりで始めたんだけど、確かな実感があったのは昨日が初めてで、

だからこそ、笑いも起こったし、ふと、問題がなかった頃の両親のことも思い出せた。

 

なにより、ことの始まりは怒りではなく、淋しさや恋しさだったとわかっているから、

ここまで根深くなる前に、父には、「母から聞いて知ってる」と言えばよかったし、

その都度、苦しくても誤解を解く努力をしたら、もっと分かり合えたかもしれない。

 

そもそも、父にも母にも、そうなってしまった事情があるのはわかっていたんだから。

 

でも、そうだとしても、二人揃って娘や孫のことが眼中になかったのはおかしいし、

二人の会話の中に、当時、一緒に耐え、戦った私への、悔恨や労いの言葉はなかった。

 

今後の動画では、マフラーのこと、日記のこと、写真のこと、手帳のこと、遺言のこと、

そもそも、父がしでかしたダブル不倫という人生の汚点は、幼い私を捨てたということ。

 

父とはとうとう語り合えなかった、そんな話も少しずつしていこうと思っています。

 

夫婦喧嘩真っ只中だった頃、生真面目で堅物な父を演じ続けた違和感。

父に叱られると思いが溢れてくるけど、言うべきではないと打ち消した昔。

それを繰り返すうちに、どんなに誤解されたとしても、反論はムダだと諦めた。

 

父とは母のようには会わなかったから、母のフィルターを通して私の近況を知り、

まるで洗脳されたように、「娘がおかしい」と間違った情報に踊らされていた父。

当時の思いは父の手帳から知ったわけだけど、それを、それだけを遺した意味は?

 

そして、母が亡くなった2010年以降には、もっと恐ろしい現実があらわになり、

私も、別居~開業~廃業~出戻り~奇跡が起こり~離婚~やっと、やっと家を出た。

父は、亡くなって初めて私たちの現実を見たはずだから、そうとう驚いただろうな。

 

と、書きたいこと、話したいことは山ほどあるのに、なかなかね、下手くそで大変。

というのが、実際のところだけど、ケイさんは曜日は不定期、週2を目指すそうで、

今朝は、試写の後、「自分が知ってる2つのエピソードが欠けてる」と追加の依頼。

 

肝心とも言える(今も心に突き刺さっている)遺言や、手帳に残された文面について、

撮影&編集してもらい、やっと動画の公開となりますので、よろしくお願いします。

 

私は、できる限り時間がかからないように、更に心の断捨離を目指します!