こんにちは ニコニコ

買い物に行きたくてウズウズしてる明子です。

 

パニック障害でどこにも行けなかったことを考えたら、

うれしい変化ではあるものの、貧乏だからね、買うのは最小限。

 

それでも、自分の足で買い物に行くのは楽しいものです。

 

 

 

私の記憶の中にある父は、こんな風に新聞を読んでる姿。

いつもいかめしい顔で、1面1面ていねいに読んでいました。

 

そして、テレビは見る時にだけつけて、選ぶチャンネルはNHK。

母や私も、父がいるとテレビをつけにくくて、自ずと我が家は静か。

 

テレビを見て笑うこともなく、娯楽もなく、会話も決して多くない。

大好きなトランプをしてもらえるのは、お正月の僅かな時間だけで、

プラスチックで出来たトランプは、(もったいない)とどこかに隠していた。

 

なので、私は自由になりたくて仕方なくて、結果、16才には家を出た。

 

そんな父、お酒を飲むと饒舌になって、しつこく話しかけてくるから、

普段とのギャップもあって、(早く開放してくれ…)と思っていた親族。

実は、父の親族は軒並み呑兵衛で、一同が揃うと大宴会、

その名残りなのか、父が我が家に来ると、一人で盛り上がってました。

 

母だけはうれしそうだったけど、私も、夫たちも、息子も、

父が食べ終わり、しゃべり終えるのを、行儀よく座って待ち続けるのは苦痛。

夫は共にビール1本でギブアップ、母も私も下戸、そして息子は大人には無関心。

 

それでも、あの頃は決定的な確執はなかったので、平和な光景、なのかな。

 

動画の更新頻度を思うと、ただの悪口と思われそうで、それが心配の種。

私自身、古い傷口から無理やり膿を出すようなことをしてるので、

出来事の前後を語るところまで、心や命が持ち堪えられるのかも、わからない。

 

悔しいのは、母の葬儀中、結婚詐欺師が部屋を荒らし、

ある人物とともに盗みを働いたのに、それを写真に収めなかったこと。

親族だって母や同居人の真実を知ったはずなのに、思いつかなかった。

 

ホントにね、思い出せば出すほど、結果として酷いことが多かった。

 

父を亡くして2ヶ月あまりで、

遠方の親族宅を訪ね、一回り年下の彼を自慢して回った母。

 

弟を亡くしたおばのことなんて考えもせず、自分の立場もわからない。

信仰心がない娘を悪く言うのはいつものことで、いつだって私は悪者。

言いたい放題、やりたい放題の母には、どれほど嫌な思いをしてきたか。

 

でも、母とは同じ女性として共感できることも多くて、

母自身、父親や兄たちに運命を翻弄された被害者でもあるから、

すべてを否定もできないし、時には(可愛いな)と思えることもある。

 

父から受けた傷の方が明らかに深いので、それが母と子の絆なのかな。

私は特に、スーパーで名前を呼んでくれた時の、母の声が恋しいです。

 

 

*ケイさんより連絡をいただき、3本目の動画は今日の公開となりました。

 毒親育ちのチェックリストをもとに、1~15問目まで回答しています。

 波乱万丈な人生や、毒親について興味がある方は、ぜひご覧くださいませ。