先日、京都で私の一番最初の体操の恩師である、辻野朝晟(のりあき)先生のその43年間という洛南高校での教師・体操部監督生活引退のパーティがありました。
残念ながら帰国できず、お手紙で参加させていただきました。
ちゃんと司会の女性アナウンサーの方が読んでくださったそうです。
昭和41年に赴任され、それから43年間、『洛南365日』の精神のもと、一日も休みなく、毎日指導されてこられたのです。そう、洛南高校の練習は365日、休みがないのです。
インターハイでの7回優勝や全日本ジュニア、国体も含め、43年間で213回の優勝、京都では40年以上連続で勝ち続けてきた先生です。
記憶に新しいところではアテネオリンピックの団体で金メダルをとった冨田洋之くん(北京では銀)や、中野大輔くん、シドニー代表原田睦巳さんなど、数々のオリンピック、日本代表選手を生み出したのも、ここ、洛南高校体操部です。
もちろん、ついこの前まで男子校だったのですが・・・。
私が先生と出会ったのはかれこれ22年前。
たまたま家の斜め向かいにあった『西京極幼稚園』へ年中組から通うことになった私。
たまたま幼稚園が『東寺』というお寺の系列の幼稚園で、東寺の境内にある洛南高校と同じ母体だったのです。
その幼稚園のカリキュラムの中に週一回、“体操”の時間があり、そこに外部指導者として来られていたのが辻野先生。
私の柔軟性と身体能力を見抜かれ、そこから当時5歳だった私の体操人生が始まりました。
平均台も、段違い平行棒も、女子の器具なんて何一つない男子校の高校の体操場で。
6年間、一回も試合に出ず、ひたすら体操の基本と礼儀=“洛南体操”を教わり、毎日東寺へ通い、小学6年生からジャンピング体操クラブへ。そのジャンピングの先生も辻野先生の教え子。
大学進学で日本体育大学体操競技部へ。
そこでの女子監督も、洛南高校卒業生。私が5歳のとき、洛南へ通い始めた頃の高校生だった方です。
なんだかんだで、私の人生からは切っても切っても切り離せない洛南体操。
辻野先生は幼かった私にたくさんの“体操道”を教えてくださいました。
そして今、私が私の体操人生の上で探し求めている先生からの課題があります。
『体操とはなんじゃ?』
『倒立』でも、『柔軟』でもないこの問の答えを探して日々勉強していたら、アメリカまで来てしまいました。ナショナルチームに入った時も、ワールドカップで4位になっても、世界選手権に出てもわからなかったこの問の答え。
今、カリフォルニアで毎日子ども達と一緒に体育館で一日を過ごし、今までの人生で一番体操が楽しくてしょがない“今”、なんだかうっすらとですが、その形が見えてきたような気がします。
体操人として、1人の人として、今、体操を通してここアメリカで見ているもの、聞いているもの、出会った人、縁・・・ 何か、どこかコアな部分で疎通しているものがあると思うんです。
いつかこの問の答えが見つかったら、また先生のもとへ行って、お話したいなぁなんて思っています☆
『そこに人が10人おったら、お前は11人目になれ』
周りの人間と同じことをしていても意味がない。
それを超える1人の人間となれ。
もう20年も前に言われた辻野先生のこの言葉。
その時、その場面で、私自身がそれを理解する意味合いが変化してきましたが、この言葉がずっと私の体操人生を支え、作ってきたのだと思います。
辻野先生、43年間、本当にお疲れ様でした。
ご家族との時間をも犠牲にしてずっと走り続けてこられた分、少しお家でごゆっくりされてください。
「結婚する時は親のところよりも先に相手を俺のところに連れてこい」
先生の言いつけ、きちんと守ります。