吉松隆氏のオーケストラ曲を聴くと
この音をすべてひとりで演奏したいという衝動に駆られる。
事実上それを可能とする立場がひとつだけある。
指揮者である。
音楽に関して強烈な理想像を描く能力を持った者にとって指揮以上の快楽はないだろう。
チャイコフスキーの交響曲をいかに巧みにピアノ用にアレンジして演奏したとしても
コントラバスの一弾きの弓が奏でる音には敵わない。あのような音は決して出すことができない。
指揮者は自らは楽器を奏さないがそのかわりとしてすべての楽器を同時に「鳴らす」ことができる。
一人一人の生身の演奏家の演奏能力が生み出すすべての音が複雑に融合し、作曲家または指揮者の夢を叶える。
オーケストラ奏者の夢もそこには介在しているor介在してよいのか、僕にはオーケストラの経験も指揮の経験もないのでわからないが
吉松氏のオケ曲を聞くたびに僕は、自分の10本の指がありとあらゆる楽器に変貌し、すべての音域を同時に鳴らすことを夢想する。