https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A6
サンシュユ。「葉は互生」とあるが間違い。サンシュユの葉は対生であろう。
「菱山忠三郎『ポケット判 身近な樹木』主婦の友社、2003年6月1日、80頁。ISBN 4-07-238428-3。」
の情報らしいので今度図書館で借りてチェックしてみよう。
元の書籍(図鑑)のミスも校閲は何をしていたのかという気もするが、それよりwikiだ。植物がわからないのにページを編集しているのか。
松本市のHPでこの警告を目にするとは。
去年か一昨年「とっても綺麗なチョウが死んでた」と、ある小学生の生徒が塾に持ってきたのがアカボシゴマダラだった。
近所の遊歩道で幼虫を見かけたことがある。塾の近くのエノキにも複数。もはやありふれている。
正確には、近所の遊歩道で見かけたものは幼虫の画像を撮り、ゴマダラチョウとアカボシゴマダラの幼虫の違いを踏まえて判断したのでおそらく間違いなくアカボシゴマダラ。塾近くのエノキの方はきちんと調べていない(”多分ゴマダラチョウではないだろう”と勝手に決めつけているだけ)。
僕が高校生の時だったか大学生の時だったかマウリッツィオ・ポリーニが来日しリストのソナタを弾いたことがあった。
それをNHK FMラジオで聞いたのだと思う。「宗教的」な演奏だと思った。 宗教的ということの具体的な意味は 自分でもわからなかったが 事実として自分の意識に降りてきた言葉がそれだった。 音楽を超越し人知を超えた何かへのログイン・ジャックイン・アクセス・コネクト・ゲートオープニング...そんなものを感じたのだ。 光が見えたようだったといえるかもしれない。
その少し後だったはずである。 そのコンサートについて朝日新聞に吉田秀和の評論が載った。 正確には覚えていないがこう書いていた。「ポリーニはついに宗教的な域に達した」。 きっと何か 僕が感じたものと通じるものを吉田氏は感じたのに違いないと勝手に思った。そういうことが、この世にはあるのだ。