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「観念する」日々

今更ブログ?というタイミングで人知れず始動され記述される、ありがちな言葉の連綿。きっと主に音楽の話。

元旦に撮った画像についてBiome で質問したところエゴノネコアシアブラムシ(による虫癭の痕跡)であるとご教示いただいた。

 

↓エゴノネコアシアブラムシについての有用なページ。この生態は驚きである。この虫こぶはアシボソやチヂミザサが近くにないと成立し得ないとのことなので、僕が画像を撮ったエゴノキの周りをいずれ観察してみたいところである。

https://new-2014no64.seesaa.net/article/201306article_27.html

 

 

 

昔  母とふたりで実家の縁側から庭を眺めていた時のこと。

大音量で鳴くウマオイの声を僕が愛でたところ母が「聞こえない」と言った。

不可解だった。この大きな、しかも耳慣れた声が聞こえないとは。

今思えばこの石丸さんのようなことだったのだろう。

 

今の僕はどうかと思い先ほど動画サイトでいくつか試したところ一応聞こえたが きっと”聞こえない部分"が削ぎ落とされた残りなのだろう。

それがどこなのかは認識できず

「うるさいほどの声量だ」だと感じながら聞くことはもう二度とないと考えたほうがよさそうだ。

そしていつの間にかウマオイの声は僕の世界から消える。

寂しいことだが 音に限らず「僕が認識できないだけで存在はするもの」はいくらでもあるのだろう。

 

 

 

僕は、言論封殺の現場にいた。これかと思った。御都合主義の、意識だけ高い系世田谷区民による言論封殺である。

これは決して忘れない。忘れないが、書いておく。もう10年以上も前のことだが。僕にはショッキングな出来事であった。

 

尚、文中に実名を書いているのは、次の3つの条件の少なくともどれかに当てはまる人についてのみである。

1、講演会の講演者。当然名前が公表されている

2、SNSで本人が名前を公表しておりだれでもアクセスできる

3、現職議員または議員経験者。名前にだれでもアクセスできる

 

 

まず、この講演会があった。2013年6月29日、佐々木るり氏の講演会である。これが2013年11月9日の「言論封殺」に繋がる布石である可能性があるためこれについて記す必要がある。

これを主催したのは「世田谷こどもまもる会」という意識高い集まりであった。

この会の一部会員は当時、食物に残留する放射性物質についてデータをまとめて公開するようなことを「意識高く」行っていて雑誌「VERY」でも取り上げられた(2013年9月号)。僕はわざわざこの号を取り寄せて読んだ。

 

(この会のHPには「ヨーロッパ放射線防護委員会」のデータばかりが載っていた(2013年9月当時)。ヨーロッパ放射線防護委員会の科学性の低さはよく知られたことであり「まもる会」の科学的素養の低さはこの一点で論証できる。「科学音痴」または「科学を無視」のどちらか(またはその両方)と判断する。そもそも、メンバーの中に理学部の学士以上の資格をもった者がいなかったのだろうか。いたのに、ああだったのだろうか。

ちなみにこのVERYの記事には当時批判が集まった。当時のVERY自体の認識もお粗末であった。「我々を批判している人たちは、怖いんでしょうね」のような筋違いの解釈に基づくツイートをしていた。冗談でなく、本気でそう思っていたのだと思う(現在、VERYの過去ツイートは2013年7月から2014年1月までの分がなぜか消えているのでVERYのツイートは僕の記憶に基づく”内容の”再現である)。

 

さて、僕はこの講演会を聞きに行っていた。佐々木氏の話には、耳をかたむけるべき部分もあると思う一方でこれはおかしいと思うこともあった。この講演会については主催した当の「こどもまもる会」の瀬田氏ら自身が実況ツイートをし、さらにはtogetterでまとめを発信したのである。

 これがそのtogetterでのまとめである。

 

僕はこのtogetterにコメントを書き込んだ。以下はその書き込みのコピペである(太字にし下線を引き、書き込みの部分をはっきりさせる)。

 

「この講演会聞きました。二つだけ書きます。 1、90万Bqという数字が唐突でした。測定法等 何も説明されませんでした。佐々木さんはこの数字の意味を説明できるのか疑問に思いました。説明があってしかるべき文脈だったのに説明がなかったからです。また、会場では驚きの声がいくつもあがりましたが、あの一瞬でどういう解釈ができたのか不思議に思いました。 ただ、私が無知なだけかも知れないので もう少し勉強してみようと思います。続く

 
続き 2、佐々木さんは「危険を強調しすぎることは福島の人を追いつめることにつながるということも知っておいてほしい」ということもおっしゃっていました。そのことをツイートしないのはアンフェアだと、このまとめを見て思いました。「二本松の状況はこんなにひどいんだ」という主張だけを選んでツイートしているように私には思えるからです。そして、それは佐々木さんのためにも福島のためにもならないと思います。」
 
以上が僕が書き込んだコメントである。
 
このコメントにも書いたように瀬田氏らは、佐々木氏の意思に反し、講演者の佐々木氏の発言のうち「自分たちの意識高い活動に都合の良い発言つまり“福島は危険だという発言”」だけを選び、実況ツイートした。この事実に対する彼らへの僕の評価は「卑怯」「御都合主義」「佐々木氏に寄り添うふりをして彼らは実際には佐々木氏の声の一部を無視している。つまり、佐々木氏ら当事者ではなく自分たち自身(の感情・承認欲求・正義感・思い込みの正しさ、など)を満足させるために活動している。そのためには彼らは事実を意図的に取捨選択し印象操作する。彼らの振る舞いは身勝手である」である。
 
ここで重要なのが「この講演会については、世田谷こどもまもる会のメンバー自身が自ら実況ツイートをし、講演会の内容を外部に発信していた」という点である。このことを踏まえておいてほしい(誰に 笑)。
 
この数ヶ月後「こどもまもる会」はまた別の講演会も主導する(”主催”という形式であったかどうかは未確認。ただし、下に記すように、この講演会の冒頭で「こどもまもる会」の立ち上げ人のひとり(2025年1月2日現在世田谷区議会議員の中山みずほ氏)がマイクを取って「講演会に先立っての注意事項」をしゃべっているので「こどもまもる会」のメンバーが講演会開催の中心にいたことは事実である)。
福島県で小学校教員をなさっている坂内智之氏の講演会である。
これも僕は聞きに行った。
 
 
「ある重要なこと」とは。以下。
 
坂内先生は、講演会の中でわざわざ時間を割き、あるテーマで語られた。
 
それは「東京などで流布されている、放射能や、人々の健康についての大量のデマについて否定する」というものであった(これを仮に「デマ否定コーナー」と呼ぼう)。坂内先生は、僕たちが当時耳目にしていたいくつもの(怖い怖い系の)デマを取り上げ「これはデマです」「間違いです」「事実はこうです」と、”おそらく、会場に来た意識だけ高い系の人たちが信じたくて仕方なかった「怖い怖い系の」情報”を静かに、しかし、毅然と否定していったのである。坂内氏は「この問題を理解するには物理化学生物地学の4分野の知見が必要であり、教育の現場で生徒にそのことを示している」と語っていた(彼自身は地質学を専攻した理科系の教員である)。彼の発言には妥当性があった(というか僕は東京民だが意識が低いので扇動系の情報には常に眉に唾をつけて接していたため、坂内先生が「デマ」としてあげたことが坂内先生のいうとおり「デマ」であることは全部知っていた。従って坂内先生が語ることの科学的妥当性にいちいち頷いていた)。
 
 坂内先生が「デマ否定コーナー」を設けたことについて「まず、このことを、東京の、意識高い連中は、恥ずかしいとか、申し訳ないとか、何がしかのことを思わないのか」と僕は思った。福島県の当事者の方が、自分の講演会のなかで、他に言いたいこともいろいろあるだろうに、わざわざ時間を割いて「あんたらが善人ぶって言ってることはデマなんだよ。ふざけんなよ」という主張をしなくてはならなかったのだ(もちろん、坂内先生はそんな言葉遣いは一切しない)。彼に、わざわざ講演会の1コーナーとして「デマ否定コーナー」を作らせてしまったのが「自分たちを含む意識だけ高い系市民」だということを猛省しないのか、彼に謝らないのか。
 
 無論、彼らは謝りも猛省もしない。それどころか「ふくしまの子どもたちと共に」は坂内先生のこの渾身の「デマ否定コーナー」をすべて無視して報告を書いたのである。「子どものため」と称しつつ、自分たちの心の中に巣食う御都合主義と対峙できない未熟者たちによる「意識高い善行為」。僕は、こうした意識高い世田谷民の所業の数々に心底うんざりしている。思想的に右か左かとか、原発賛成か反対かとか、そういう問題ではない。
 
とまあ、これは実は別のブログにも書いたこと(記憶はあるのだが書いてないかも...)で、実は今回の本題ではない。
ここで取り上げたいのは「言論封殺」の件である。
 
 
 では改めて、言論封殺について。
 
 実は、坂内先生の講演会については僕も設営を手伝ったりしていた。パイプ椅子を設置し、時間になり、僕も聴衆のひとりとして後方に座って開会を待った。そして、講演会の冒頭で僕は、耳を疑うような発言を耳にすることになる。
 
 
講演に先立って注意があります。この講演会で見聞きしたことをツイッター、Facebook、ブログ等にて発信することはお控えください
 
しつこいようだが、僕は耳を疑った。信じられなかった。言論をカジュアルに封殺するアクションを「意識高い市民」が堂々とやってのける瞬間に初めて遭遇した。そして思った。「ああ、言論封殺ってこうやってカジュアルに起きるんだな。それを行った当事者には罪の意識など微塵もないままに。」
 
この中山氏の発言はまったくもって言論の道から外れたものである。
第1に、そもそも、自分が見聞きした講演会について誰がいつどのように発信しようとも自由である。根本的にはこの一点を持って中山氏の発言は非難の嵐に吹き荒ばれるべきものであり、中山氏は言論の担い手として失格である。タイムマシンで前近代に戻れと言いたい。
 
第2に、数ヶ月前、佐々木るり氏の講演会の時に「実況ツイート」をしていたのはまさに「世田谷こどもまもる会」の中心メンバーである瀬田氏たちであり、そんな酔狂なことをしていたのは世界広しといえども瀬田氏たちのみである。数ヶ月前自分たちで嬉々として「るりさん、めちゃキレイ♡」「90万ベクレル」「自殺が多発」などとツイートしていたその口で、一体今回はなにゆえに「発信するな」と言うのか。この、御都合主義の極致っぷりかつ厚顔無恥ぶりには開いた口が塞がらない。
 
 僕は、自意識過剰にもこう推測した。「佐々木氏の講演会のtogetterに批判的なコメントが書き込まれた(僕が書いたコメントのことを指す)。それは彼らにとって予想外のことであり、かつ、自分たちにとって都合が悪いことであった。従って、まもる会の中で示し合わせて、今回の坂内先生の講演会においては(あろうことか)SNSで講演会について語ること自体を禁じるという、言論封殺アクションに出たのだ」と。
 
 togetterにコメントを書き込んだ人は僕の他にもう一人いたが「佐々木氏の講演会を聞いた」と宣言した上で批判したのは僕だった。つまり「まもる会」としては”講演会には自分たちの“味方”ばかりがあつまってエコーチェンバーが成立する”とばかり思っていたのに、意に反して、“講演会を聞きに来た奴の中から自分たちへの批判者が出た”という、大変都合の悪いことが起きてしまったのだ。これは、“講演会というのは、そもそも味方ばかりが集まって「そうだそうだ!」と盛り上がる同好会のようなもの”だと思い込んでいたであろう彼らにとっては青天の霹靂だったのではないか。
 
やれ公正だの命だの、東電は悪だの自衛隊のヘリが悪いだの、人権だのこどもを守るだの、政治が悪いだのと言って「善悪」を判断して生きている連中が、自由主義の近代国家において堂々とマイクを使って「発言を禁ずる」と宣言するとは、矛盾もいいところである。
 
 
 
 もうひとつ、こちらは自意識過剰でない推測をする(ただしこちらは仮定の話を含む)。
中山氏を含む「せたがやこどもまもる会」は、坂内先生が講演会の中で「デマを否定するコーナーを設ける」ということを、事前の打ち合わせで知っていたのかもしれない、と僕は疑う(これが仮定)。
 この仮定に基づき推論を続ける。「まもる会」は坂内先生の「デマ否定コーナー」の存在を予め知っていた。「デマ否定」は「意識高い系」の人々にとって都合が悪い。なぜなら、彼らが原発事故以来行動原理としてきた根拠にそれらの「デマ」が含まれるからである。そこで、自分たちの活動に差し支えるような「デマ否定」が、よりによって自分たちが開いた講演会から発信されることを恐れ「SNSでの情報発信はお控えください」となったのではないか。
 
(ちなみに、講演会主催側と講演者が講演内容についてあらかじめある程度打ち合わせておくことがあっても不思議ではないので、これは決して「せたがやこどもまもる会」を悪者にするという結論ありきの推測ではない。むしろ”togetterへの僕の書き込みによって「まもる会」が動いたという自意識過剰な推論”以外の、論理的妥当性のある推測を自分なりにしたまでである。僕はとにかく、中山氏があまりにもはっきりと堂々と「SNSでの発信を禁止」したので非常に驚いたのだ。あの背景にはそれなりの理由がなければおかしいと僕は思う。だから推測もしたのである。あれほど強くはっきりと「発信するな」と人前で言語化する、中山氏にそうさせたものはなんなのだろう、と。)
 
 いずれの理由によるにせよ、中山氏らが堂々と言論封殺を試みたのは事実であって許容されるべきものではない。彼らの過誤をまとめると次の2点となる。
 
 1、佐々木氏の講演会においては「まもる会」は、自分たちに不都合な内容は無視してそれ以外のみをツイートした。
 2、坂内氏の講演会においてはそもそも、講演会についてのSNSでの発信を禁じた。講演内容を知った上でそれをした可能性もある。
 
 1の時点で、この意識高い系の人たちは失格なのである。言論に関わる市民として。
 
 
「御都合主義」あるいは「虫がいい」「マルチプルスタンダード」というのは、自由主義を享受して生きる成人であれば、許されない態度だというのが僕の考えである。これは絶対に譲らない。右翼だろうが左翼だろうが、御都合主義でないのであれば立派な言論である。どんどん発言し議論すればいいではないか。しかし、御都合主義だけは、許してはならない。もちろん自分自身も容易に御都合主義に陥る危険性がある(それが人間というものだからだ)ので常に気をつけなければならないことを前提として、人は、御都合主義な態度をとった瞬間、その人の発言は言論としての価値を失うことを踏まえて生きる(発言する)べきである。
 
ちなみに中山氏が議員候補になった時、ある人がこう言っていた。「中山さんはほんとふつうのお母さん、て感じで、その中山さんが議員の候補者になるとか議員になるとか、なんか不思議な感じ」。
そう、「ふつうの人」が言論封殺を平気でやったのだ。これこそ「言論封殺ってこうやって起きるんだ」と思った僕の感想と符合した
僕は中山氏(および、世田谷こども守る会)が言論封殺を堂々と宣言したことを(後何日生きるか知らないが)死ぬまで絶対に忘れない。
僕はこれを書くことで「思考にケリをつける」が、このことは忘れないしおりにふれ蒸し返して「普通の人」がいかに卑劣でありうるかを主張するつもりである。

 

 

つまらないアドリブである。

これでプロなのだろうか。楽器が流暢に吹けるだけであってまるで中身がない。

これなら僕の方が中身のあることができる(ただし僕は下手だが)。

こういうのを「ジャズ」とか呼んでもてはやさないようにしないとジャズが誤解される。

 

 

24分ごろから恩田美栄さんのフリーの演技

おそらくこれをテレビでリアタイでみた時が、僕が吉松隆さんの音楽を知ったときである

「吉松隆のメモフローラ」という曲紹介をテロップではなく音声で聞いたような気がするのだが、この映像では演技前にテロップで紹介されている。演技前に曲目に注目する習慣が僕にはないのでテロップで吉松に注目したとは考えにくい。不思議だ。僕がテレビでみたのはこれとは異なる放送だったのだろうか。

 

いまこうしてみるとメモフローラだけではなく「白い風景」も使われている。素晴らしい選曲である。

ちなみにテロップには"「白い風景」より「消える雪」"とあるがこれは間違いで"「白い風景」より「雪占」"が正しい。

吉松隆の「白い風景」は3曲からなる。1、雪占(ゆきうら) 2、静雪(しずゆき)  3、雪消(ゆきぎえ)

 

僕を吉松さんの音楽に出会わせてくれた恩田美栄さんに、この時以来 僕はずっと感謝しているのだ。