こんばんは。章花です。
先日、初めてレイキの練習会に参加してきました。
*レイキヒーリングとは、日本発祥の民間療法*
私は10年ほど前、伝授をしてもらっていたのですが、
最近はすっかり忘れていました
ヒーリングをする番になって、手を当てているうちに
ずいぶん前のことが思い出されたので、
今日はそのことを書きますね。
私が看護師として働いていたときのお話です。
大きな病院だったので難病の方が多く、
全身あらゆるところにこぶができてしまう難病の方がいました。
良性であっても、かなりのスピードで全身にこぶが増えていくため、
その方は、片足を太もものところから切断しなければならなくなりました。
四肢を切断すると、幻視痛という、
失ったはずの四肢が痛むことがよくあり、
その方も例外ではありませんでした。
手術後、夜になると、頻繁にナースコールが鳴りました。
なくなった足を痛がるのです。なんとかしてくれと。
同僚もみな、どうすることもできず。
今はよい治療法があるのでしょうか?
私も、どうすればよいのかわからないまま、
呼ばれるままにベッドサイドへ伺いました。
布団の中に手を入れ、足があったであろう場所をさするしか
考えが浮かびませんでした。
ただ、何かしなければ、と思いました。
「この辺でいいですか。痛みますか。」
「さすっておきますね。」
「このぐらいの強さでいいですか。」と、問いかけるのですが。
我に返って、何をやってるんだろう?
意味ないのに。
どうしよう、○○さん、何にも言わない。
あほやな、って、思ってはるな。きっと。
夜の巡回の合間に時間がある限り、
ただそばに付き添い、手を添えていました。
看護学生のときに教えてもらった
看護の【看】という字は
【手】の【目】で看(見)ることだよ。
ということが頭に浮かび、
手を当てることに何かを託したような気がします。
いまだ、それは気休めだったのか
レイキのような癒しの効果が少しは出ていたのか
まったくわかりません。
ただ、その夜は、めずらしくぐっすりと患者さんが
眠られていたように思います。
結局その後、病状の悪化で亡くなられたのですが、
看護師のときに私が看取った、たった1人の方となりました。
きっと、何かのご縁があったのでしょうね。
だから、私は手に何か力があると思えるのかもしれません。
それは、レイキを学ぶずっと前から。
握手も初めての方とするときには、
とてもドキドキするんです。
なんだか、相手のことがわかってしまうような、
私のこともわかってしまうような感覚があり、ちょっと怖い
そんな特別な思いのある手。
その手を使う、レイキ練習会のお知らせが今あるということは、
これから、もうひと踏ん張りする私にレイキが必要ということかな、
と思っています。
すっかり、忘れていたのに。
絶妙のタイミング
せっかくなので、しばらくいっぱい使って、
今の私の応援に使ってみますね
思い出話の章花でした