この春、浅草芸能大賞の舞台で司会をしました。
その際の落語協会100周年の記念コラボトークで圓太郎師匠と一之輔師匠に言われました。
「なんで噺家にならなかったンですか」
実はこれはよく言われます。
下町で生まれ育って町内には鈴本演芸場と本牧亭。
当時はまだ周辺に下町の風情が色濃く残っていました。
家には芸人さんが出入りしていて、どういう世界なのかは肌で感じていました。
両親も下町ですから江戸弁のネイティブスピーカー。
確かに噺家になるにはぴったりの環境です。
ですから「なんで噺家にならなかったンですか」と言われます。
しかし私としては草履屋を継ぐつもりでしたので噺家になるつもりは全くありませんでした。
それがどうしたことかNHKアナウンサーになってしまいました。
結局、話すことを生業にはしたので親もまさかと思っていました。
ちなみに両親は私に後を継げとは言わず、むしろ好きなことをやれと言ってくれていました。
若手時代、ニュースを読み終わってスタジオを出てきたら先輩が笑いながら
「水谷君、『ここからは』と言おうね」
私がキョトンとしていると
「さっき『こっからは』と言ってたよ」
録音を聴きましたら確かに「こっからは関東地方の皆さんにお伝えします」と言ってました。
気付かない間にもっといろいろなことを言っていたかも分かりませんね。