目の前であの大横綱千代の富士が涙をぬぐいながら「体力の限界、、、気力もなくなり」と声を絞り出しています。
私の目もうるんでいました。
あの大横綱がついに土俵を去る、相撲が終わってしまうような気持ちにさえなっていました。
今から33年前の1991年5月14日大相撲夏場所三日目の夜のことです。
大横綱千代の富士がついに引退、その記者会見は九重部屋の2階の広間で開かれました。
初日、大相撲史の転換点になる大一番貴花田に敗れ、いよいよその日が近いことはみなが感じていました。
二日目は勝ったものの三日目貴闘力に敗れついに引退となりました。
私はその日の実況を終えてプロデューサーと国技館近くで食事をしていました。
店内のテレビではニュースで今日の敗戦を伝えましたが最後に「このあと東京墨田区の九重部屋で記者会見が行われることになっています」
この瞬間、プロデューサーも私も箸が止まりました。
まさか今夜記者会見?なんで今夜?
通常引退の会見は翌日国技館の中にある相撲記者クラブで行われます。
表明したその日の夜に記者会見というのは実は前代未聞です。
しかも部屋で行うとはこれまた異例です。
のちに私が聞いた範囲では相撲協会幹部が今夜記者会見させますと言ってしまったのが発端のようです。
すぐに九重部屋に向かいました。
やはりまさか今夜記者会見とは各社思っていなかったようで2階の広間はまだそんなに集まっていませんでした。
NHKのアナウンサーもまだ私だけでした。
ややしばらくして記者クラブの幹事社が「NHKのアナウンサーが到着次第会見を始めます」
血の気がひきました。
そこにいるNHKアナウンサーは私だけ。
まさかこの世紀の大横綱の引退会見で自分が代表インタビューするのか。
恐ろしくて出来ない、絶対出来ない、いやこれこそ与えられたチャンス、やるしかない、いややっぱり荷が重すぎる、など頭の中は大混乱。
と、そこへNHKアナウンサーの重鎮内藤勝人さんが到着。
お疲れ様です、と挨拶しましたがほっとして全身から力が抜けていきました。
そしていよいよカメラも用意され準備が整いました。
羽織袴姿の千代の富士、そして九重親方が入ってきました。
この時点ではまだ千代の富士はいつもと変わらずにこやかだったと覚えています。
千代の富士らしいなと思ったのを覚えています。
そしていよいよ会見開始。
内藤アナの最初の質問にこたえはじめたところ感極まって涙をぬぐいながら「体力の限界」と言って言葉が途切れ、振り絞るように「気力もなくなり、、、」
囲んだ記者も泣いていたと思います。
私も涙を流していました。
アナウンサー生活の中でいくつかの忘れられない場面がありますがこの千代の富士引退会見はその筆頭です。
(大相撲放送の両国国技館で撮影)