36年前、就職が決まった時に実家の草履屋のお得意様、漫才の内海好江師匠が浅草でお祝いをしてくださった。
すき焼きの鍋をはさんで師匠と差し向かい。
「ハイ、そっちが煮えたでしょ、硬くなる前に食べて、
次はナニ飲むの、アタシは冷や、アナタは熱いのがいいの、
そう、おネエさん、お酒お願いね、
ハイこの肉もういいわよ、
修行だからね、我慢なさいよ、人の言うことはよく聞くの、
さぁ、このビール飲んじゃいなさい」
これがそのまま話芸でした。
師匠がウチをひいきにしてくださるようになったのは私が小学校三年生の時でした。
師匠が初めて買い物に来ていて、そこへ学校からランドセルを背負った私が帰ってきました。
ウチには玄関などなく出入りはみな店からでした。
店に入った私は、制帽を取ると「いらっしゃいませ」と頭を下げました。
その姿に「この店なら大丈夫」と思ってくださったようです。
アナウンサーになっていつかは司会として「続いての高座は内海桂子好江さんの漫才です」といいたかったのですがついにかないませんでした。
結局、私が担当したのは師匠の追悼番組。
なにか親不孝をしたような気持ちでした。